暑くなった。
頑張って掃除をした。
雨が全く降らないので植木の散水も。
午後はソファーで寝転んで録画してあったNHKの「世界のプリンス・プリンセス物語」を見る。
王妃様は美しくて勇気がある賢い女性でないとだめで、エステルのような女性がいつの世にもいるのだ。
モロッコの王妃様が素晴らしい。
王子様もただハンサムでお金持ちだけではなくて品格が大事。
最後に出てきたアラブ首長国連邦ドバイの王子様が素敵。
ペットはホワイトライオン。
ゴージャス。
教会では今日「父の日祝福の祈り」があった。
お父さんたちは立って拍手を受けて嬉しそうだった。
いつもより男性の出席者が多かったような気がする。
教会でKさんが「いつもブログのお花の写真を楽しみにしている」と言って下さったが夏に向かって花は無くなる。
梅雨というのに雨が降ら無いので雑草も生えない。
大葉カタバミもこんな状態。葉が無くなっている。
* * * * * *
聖書の女性 マリヤ2
マリヤが賞賛されるのは、救い主の母として特別に選ばれた女性であることと、不安、恐れ、悲しみを通して信仰に生きた女性であるということによる。
「処女降誕」から学ぶ。
レオナルド・ダヴィンチ画 「受胎告知」
聖書 ルカ1:26-38
ヨセフと婚約中だったマリヤに御使いガブリエルが現れて「受胎告知」をする。
あくまで「処女」27 が強調されている。
生まれる子は人類の「救い主」31-33 である。
この事実にマリヤに生じた不安と恐れとは?
1、婚約者ヨセフに対する身の証
マリヤからの行動はない。
説明の理由が見出せなく、ただ疑われている不安と悲しみがあるのみであった。
マリヤは神に委ねるしかなかった。
神はヨセフ自身に説明をされた。
ダビデの子ヨセフ。
恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。
その胎に宿っているものは精霊によるのです。 マタイ1:20、21
2、姦淫とみなされた場合は死刑
ヨセフが訴えれば死刑となる。 申命記22:23、24
神の御告げを聞いたヨセフが神の御旨と受け入れマリヤを迎える。
3、人類の救い主の母となるという畏れ
受胎告知をされた時は「ひどく戸惑った」29 が、後には
わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。
主はこの卑しいはしために目を留めてくださったからです。
本当に、これからの地、どの時代の人々も、
私を幸せ者と思うでしょう。1:47、48
4、処女の自分にどのようにして子を宿す道があるのか
・ザカリヤ 1:18「何によって知ることができましょう」→不信仰 20
・マリヤ 1:34「どうしてそのようになりえましょう
私はまだ男の人を知りませんのに」→方法を尋ねた。
5、受胎告知されたマリヤの信仰の課題
受胎告知は「告知」であって「相談」ではない。
マリヤは御使いから相談されて納得して受け入れたのではなく「神から恵みを受けた」30 という事実を受け入れたのである。
信仰とは納得して受け入れる理解ではなく、理解できなくても事実を信仰によって受け入れる事である。
1:37、38のマリヤの告白は奇跡のみならず神には一切間違いはないとの信仰である。
最後の練習なので頑張ってコーラスの練習に行く。
地下鉄で長堀橋で乗り換えたら満員だった。
2駅だから立っていてもどうってことは無いけれど・・・シルバーシートに座っていた若い女性が私の肩をトントンと叩いて席を譲ってくれた。
「ありがとう」と言って座ったが、彼女は連れの男性と喋っていたのは中国語。
外国人の観光客だった。
何年も地下鉄に乗っているが、今まで席を譲られたのは2回だけ。
数年前に黒人の素敵な男性に譲られて、今回は中国の美しい女性。
言うたら何やけど、日本人の男性にも女性にも席を譲られたことは1回も無い。
若い日本人は自分のことしか考えて無い。
本当に薄情なのだ。
それは大阪人だからか?
観光客のマナーが悪いと耳にするが、私にはマナーが良い人たちに見える。
谷町6丁目で「ありがとう」ともう一度彼女に礼を言って電車を降りた。
同窓会館の前の紫陽花。ピンクも可愛いね。
練習後同期会の食事会に四ツ橋へ。
食事を終わって外に出たらまだ明るくて、涼しい風に吹かれながら難波まで歩いた。
一日中家でぼーっと過ごした。
毎年6月はスケジュールが立て込む月なので、体が悲鳴を上げない間に少し休めないといけない。
今年は比較的爽やかな低めの気温の日が続いているので助かっている。
どれもパス!という訳に行かない辛さ。
何時今日で終わりになるかもしれないし、友人も何時誰が「お先に〜」と逝ってしまうやもしれない。
時々体を休ませながら行事をこなし友人たちとの出会いを楽しむことにしよう。
* * * * * * * *
聖書の女性(28)ーマリヤ
1、カトリック教会でマリヤ信仰が生まれて行った歴史
4世紀までは、キリストが神か人かというキリスト信仰に関する議論はあったがマリヤに対してはなかった。
325年ニカイア宗教会議で三位一体の神観が確認。
キリストは神であるという正当信仰が確立。
その中で他宗教に見られる「女神信仰」の土着宗教との接触が大きな議論となる。
これがマリヤ信仰が生まれた背景の一つと言われている。
380年に祈祷書の中に「マリヤへの祈り」が記録されている。
431年 マリヤ「神の母」「永遠の処女」とみなされる。
687年 セルギウス法王がマリヤは神と人との仲介者と位置づけてマリヤの祝日ができた。
例:3月25日ー受胎告知
8月15日ーマリヤ昇天日(被昇天)
840年 マリヤが地上と天界をつなぐ仲介者であると公認。
12~13世紀、マリヤの聖遺物やマリヤ像を所有する教会が巡礼地として、人気を集めた。
主にフランスや北ヨーロッパの地方都市が中心であった。
マリヤが奇跡を起こすと信じられ教会が国家権力と結びついて巨大な権力を持ち始めると、マリヤに捧げた大聖堂が次々と建設され今日に至る。
1854年 ローマ法王ピウス9世「無原罪の御宿り」を認定。
2、上記に関する考察
※マリヤ信仰は聖書を無視している。
信仰の規範は聖書以外にない。
いかに宗教的会議や法王の決定であっても聖書の教えを根拠に持たないものは信仰から逸脱していると言わざるを得ない。
上記の会議決定を覆す聖書のみ言葉のひとつ。
神と人との仲介者はマリヤなのか誰なのか?
神は唯一です。
また、神と人との間の仲介者も唯一であって、
それは人としてのキリスト・イエスです。 第一テモテ2:5
昨年11月に大腿骨骨折をしたM子姉に会いに行った。
今日は手術を受けた病院での診察日だった。
診察後に一緒に食事をしようと病院へ迎えに行ったが、診察と点滴が長引いたので家に寄ってしゃべることが出来なかった。
骨粗鬆症の点滴を受けている姉としゃべる。
姉はデイサービスでカラオケを歌うらしい。
「千の風になって」が唯一のレパートリーだというので、それは惜しいし、もっと素敵な歌がカラオケにあるはずだからと候補の曲名を上げると、突然その歌を歌いだすので止めるのに必死だった。
「荒城の月」なんかはどう?というと「は〜る〜こ〜お〜ろ〜うの〜」と小さな声で歌いだす。
そのうちだんだん興奮して声が大きくなる。
午後の処置室と言えど、しんとした病院に響き渡る。
姉は86歳。
決して認知症ではないのだけれど、少し変わっているので周りの者は「あわわ・・・」となる。
娘と私に会えたのが嬉しかったのか目が輝いている。
もっとゆっくり話しが出来たらよかったのだけど・・・私もくたくた。
時間が押してコーラスの練習に行けなかった。
姉の歌えそうな曲を探して楽譜をコピーして送ってあげようと思う。
小学校のクラス会。
もう2年前にクラス会は「おしまい」ということで、繰越し金を「湯の山温泉1泊旅行」で使い切ってしまったのに、「会いたいな〜」という声があちこちで聞こえて、今日は昼食会をしたら10人集まった。
卒業の時に50名ほどだったクラス。
80歳になった今も元気に集うクラスメイトがこれだけ居るのだ。
末期ガンを宣告されても抗がん剤で生き返ったI君。ステッキをついているが矍鑠としている。
Kちゃんも昨年大病をしたのに前より元気だ。
Tちゃんは耳がますます遠くなったけどやってくる。
まだ現役の開業医のJちゃんは高齢者の健康法についてのお話を1席。
このクラス皆の主治医みたいなものなのだ。
私たちが⒌、6年生の頃は、食糧事情も少し良くなった頃で、戦後の自由が満喫できた時代で本当に楽しかった。
クラス全員が仲良しだった。
食事が終わってから「からおけ」に行った。
歌も上手なのである。
最後に小学校の校歌を歌った。
来年もまた元気で集まろうね。と約束してお開き。
南天の花
多忙な日々が続いたので、くたびれて伸びている午後も多くて・・・。
聖書の勉強がおろそかになってしまった。
遅れを取り戻す( ^ ^ )/□
ヨブ記続きから。
ヨブ記は読むのがしんどい箇所である。
聖書の女性(27)ーヨブの妻2
ヨブ記は昔から多くの文学哲学に影響を与えてきた書物である。
信仰の世界では苦難の問題は非常に大きい。
今回はヨブの妻の学びを超えて、ヨブ記の主題「なぜ義人が苦しみを経験するのか」について考える。
旧約聖書学者の浅野順一は『ヨブ記』(岩波新書)を記し、その中に下のように語っている。
「人生を一つの円にとすれば、人はその円に『破れ』を生じる。
その破れから冷たい隙間風が、時には強風が吹き込む。
そのため人はその破れを埋め冷たい風が入らないようにする。
そこに多くの宗教の存在理由がある。
無病息災、家内安全・・・は破れを埋める作業に終始する宗教である。
それを否定しないが、同時にその破れから何が見えるかということが最も重要なことではないだろうか。
破れが無かった時には見えなかったものがその破れを通して見える。
健康な時には見えなかったことが病によって知り得る。
私たちは破れを埋めることに心を奪われ破れがなければ見えないものを、破れを通してみるという心構えをおろそかにしてしまうのだ。
これで良いのだろうか」
ヨブ記は昔から多くの文学哲学に影響を与えてきた書物である。
信仰の世界では苦難の問題は非常に大きい。
今回はヨブの妻の学びを超えて、ヨブ記の主題「なぜ義人が苦しみを経験するのか」について考える。
ヨブが語る「苦難による破れ」から見えてきた世界
1、病の癒しにまさる復活の希望を知る
19:25-27
復活による希望を知るのはキリスト以降の新約聖書を経てからであるが、ヨブは旧約聖書時代にその信仰を授かった。
病の癒しも素晴らしいが最終的に死そのものの癒しこそ最高の恵みである。
ヨブは「破れ」からその希望を見ることが出来た。
2、神の個人的語りかけを知ってさらに神を深く認識する
38:1
全能で愛に満ちた神が、どん底ある時自分を見捨てずにおられたこと、
さらに個人的に親しく語りかけて下さることをを知ったことは大きな恵みである。
私はあなたのうわさを耳できいていました。
しかし、今、この目であなたを見ました。 42:5
3、苦難の問題も含めて全ては神の御手の中にあることを知った 38:2-41:34
神は大宇宙と大自然を支配する神の御手を示される。
ヨブ自身その一つにも答えることができない無知を知らされる。40:3-5
ここで神はヨブがなぜ苦難をうけたかについては一言も語っておられない。
ヨブは「あなたはどんな計画も成し遂げられることを私は知りました」と語っている。42:2
破れの経験から知ったことは大きい。
4、友人との論争を超えて激しい執りなしの祈りの恵み 42:8、9
友人たちはヨブを断罪し苦しめたが、その友人たちを許して神に執りなしの祈りをする。
破れの経験は愛に満ちた祈り手になれる。
5、繁栄回復の恵み 42:12-17
驚くべき繁栄の回復が記される。
ヨブは息子7人と娘3人を得る。
かって夫に不信仰の嘆きを語ったヨブの妻は悔い改めたか?
財産は2倍に回復した。
大切なのは10節。
ヨブが友人たちのために祈った時・・・2倍に回復された。
友人を赦す祈りは祝福の土台である。