連日の猛暑でイチジクが熟してきた。
明日食べごろを迎える。
明日収穫を忘れたらヒヨドリが食べてしまう。
ヒヨドリもどこかで熟するのをじっと見て待っているに違いない。
朝、郵便ポストに用事が有ったのでついでに買い物をしてくる。
木陰の道ばかり歩いたのに、帰るとどっと汗が出た。
高温注意報が出ている。
今日もどこへも出ずにドールハウスの清掃やさんをする。
ドールハウスを触っていると、ままごと遊びをしている感覚で楽しい時間を過ごせる。
作ったのは15年ほど前だが、何度も移動をしているので傷みが激しい。
刷毛でホコリを取りボンドで修理をする。
電気工事はまた後日。
ようやく掃除が終わってドールハウスの人形たちもほっとしたかな?
この家には5人の人形が住んでいる。
夫婦と赤ん坊、ナニーとメイド。
人形は私が焼いて作ったオリジナルである。
あとペットの犬と子猫が住んでいる。これは陶器の既製品。
主人は書斎で新聞を読んでいる。
後ろにピアノが有るので音楽家かな?
奥様はおしゃれをしてお出かけでしょうか?
この部屋の壁紙はイングランドのバースのドールハウスの材料店で買った。
ナニーとベイビー。
ままごと遊びで暑さを忘れる。
午後録画しておいた「ルイス警部」を観た。
お目当のハサウエイが休暇で留守という設定だったので、気がついたら寝てしまっていた。
ミステリーで何を観たいの?
夜、もう一度「ルイス警部」を観る。
ハサウエイ(ローレンス・フォックス)後半に出てきた^ ^。
かなり個性的なハサウエイは休暇でコソボにボランティアに行って日焼けして帰ってきた。
カマキリのように手足がやたらと長くて細い。
ルイスは奥さんの死からようやく立ち直ってローラとの仲が進んだ。
ハサウエイは「油断も隙もない・・・」と一言。
やっぱりこのミステリーは面白い。
暑い午後、今日も映画を観る。
今日観たのは「ニキータ」。
30年ほど昔の映画だが、ジャンヌ・モローが出ていたので観た。
観るのは2度目。
ジャンヌ・モローは一昨日89歳で老衰で亡くなられたとニュースで聞いた。
大好きな女優さんだったので、主な出演作は殆ど観てきた。
年を取ってからも映画出演をして姿も顔も自然体で、ハリウッド女優のように整形はしないでしわくちゃそのまま。
歯も自分の歯だった。(入れ歯とかインプラントじゃない)。
それが又より魅力的に私には見えた。
有名な「死刑台のエレベーター」。
石畳の道をハイヒールでコツコツ音を立てて歩く姿が印象的で真似したいと思ったものだった。
「突然炎のごとく」「黒衣の花嫁」「エヴァの匂い」「小間使いの日記」。
「雨のしのび逢い」、一人でバーに入ってワインを注文し三杯もお代わりして・・・。
椅子に座って姿勢を崩れず・・・。
格好良くて憧れたなあ。
最近では「デュラス愛の最終章」マルグリット・デュラスの晩年の姿を描いた映画で若い男性の恋人と暮らす話。
これはちょっと哀れだったが、でも素敵。
「ニキータ」では、政府に雇われる何も知らない暴力的なニキータに女性としてのエレガントさを教える女を演じている。
若いニキータと並んで鏡に映っても見劣りしない迫力あるオーラが出ていた。
多分、追悼番組として放映される映画も多いだろうから見逃すことなく観ることにしよう。
今朝も蒸し暑くて朝から力が出ない。
8月のスタートが二度寝とは情けない。
これではならぬ。と気合を入れて買い物に出た。
スーパーは大賑わいだった。
今日は近くで花火の上がる日。
それぞれの家庭で来客があったり家族で花火を楽しむために、バーベキューの材料などを買い求めていた。
「暑いのに大変やなあ」。
午後、元気になったので汗を流しながら部屋の模様替えに励んでいたらNさんが来た。
例の「竜舌蘭」を人から聞いて見にきたらしい。
小豆のアイスキャンデイを舐めながらしばらくおしゃべりをする。
先週ご主人と孫を連れて富士山に登ってきた話。元気やなあ〜。
80歳になって何が楽しいって、登山の途中でへたっている若者に声をかけて「しっかりしなさい、私は80歳やのに頑張っているよ〜」と言うと大抵びっくりしてくれる。これが楽しいねん。
変な楽しみ方。
こんな元気な友達だけど、帰り際「この頃ご飯作るの面倒くさなってん」と言った。
山登りの疲れだろう。やっぱり80歳なのだ。
台風のせいで蒸し暑い。
高温注意報が出ている。
どこにも行かず、例によって読書と映画で1日を過ごした。
月曜日だから掃除をした。
食事だけは朝昼晩とおやつをばっちりとっている
* * * * * *
聖書の女性(34)ーカナンの人の女
このシリーズではキリストはユダヤの女性だけでなく異邦人の女性の救いを願い活動されていると感じる。
聖書 マタイ15:21-28
1、カナン人の女
①娘が悪霊に取り憑かれている。22
②この女は「ギリシャ人」。マルコ7:24-29
※この箇所は疑問点も多い。
キリストが一見冷たく扱われているように見える。
キリストの真の意図は?
2、キリストの取り扱い
疑問その1、異邦人が「犬」26に例えられている。蔑視?
ここには蔑視の意識はない。イスラエルも「羊」で例えられている。
どちらも家畜であり当時の慣用句である。→
犬どもが私を取り囲み、
悪者どもの群れが、私を取り巻き、
私の手足を引き裂きました。 詩篇22:16
疑問その2、「イスラエル以外には遣わされていない」24 と拒否しているかに見える。
これは福音の伝達順序の強めるためで差別ではない。
先ず旧約時代からの神のことばを聞いてきたイスラエルに伝え、次に異邦人。
キリストがこの地に来られたこと自体が既に異邦人の救いを考えておられる証拠である。
疑問その3、「子供たちのパンを取り上げて子犬に投げてやるのはよくない」26
この言葉は「却下」ではない。
「信仰のチャレンジ」である。
ギリシャ人の婦人が娘の癒しを求めて主の所に来た時、御言葉の知識もなく、
主を単なる「霊能者」とみなしていた可能性が有る。
「ダビデの子よ」と呼んだのも深い意味からでなく当時のユダヤ人の表現を使った。
主は、この婦人が「執拗に」求めてくることを知っておられ、彼女の信仰強化を願われたのであろう。
※聖書には神が人の願いを聞きながら直ぐに答えない事が多く記されている。
それを却下と読んでしまうと聖書が読めていない事になる。
キリストの関心は常に人間の信仰強化にある事がわかる。
求めが強いとき、目先の事に心奪われて、真の必要が見えない事が多い。
主はある程度求める期間を経る事を私たちに科せられる。
その期間を通して、願いが純化され、真の必要が何かを知っていくのではないだろうか。