a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

秋だから歩こう。

まだまだ汗は沢山出るけれど歩けるのは嬉しい。

教会の「歌の会」に出席した。

教会までの往復で2500歩。

お昼ご飯を食べてから集会所で「優しい体操」に出席した。

往復2000歩。

合計4500歩で階段は1階分と出ているが、もっと登っていると思う・・・。

坂道がかなり厳しいのである。

 

明日は公民館に行くが、往復で4000歩掛かる。

分かりやすい目安なのだ。

 

7、8月は猛暑で家に居てばかりで足腰が鈍ってしまっていた。

秋は大好き!!

毎日歩いて出かけるぞ〜。

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今日の「まきばcafé」。

スポンジケーキの上にコーヒゼリーと梨。テーブルにほおずきと赤い唐辛子が置いてあった。

 

姉を見舞う

95才のC子姉を久しぶりに見舞う。

昨年12月に会いに行った時は脳出血の手術の後で、言葉も「ありがとう」だけでもうこれで会えないのかとがっくりして帰ったのだったが・・・。

暑くて行けなくて今日やっと会いに行けた。

もう3週間も目を開けないので・・・という甥の話だったけれど。

Kさん(私のこと)とNちゃんが来てくれはるって、と言ったら目を開けて反応があったらしい。孫たちも来る予定だといったら「女の人ばかりやね〜」と言葉を発したので嬉しいびっくりだった由。

部屋に甥が選んだ唱歌や歌曲のCDの音楽が流れていた。

目を開けないと言っていたが、私が話しかけるとじっと目をこらして見つめてくれる。

CDの歌に合わせて私が口ずさむと泣きそうな顔になった。

姉は歌うのが好きだった。

私が「第九」を歌うきっかけは姉が誘ってくれたからで、姉と同じステージに何度も立ってオーケストラと一緒にミサ曲なんかも歌ったのだった。

 

前より顔色も良くて元気なのは口から食物を噛んで食べているからと思う。

胃瘻とか流動食を食べさせて貰っているわけではなく、バナナなんかもそのまま食べられるらしい。

会いに行けて良かった。

姉は95才。

子供2人は男の子だけど親孝行で良く会いに来ているし、息子たちのためにも頑張って長く生き続けて欲しいと思う。

 

今日は火曜日。帰宅してぼーっとしていたらNさんが謡曲のお稽古が済んでやってきた。

丁々発止でおしゃべり。

彼女に負けずに喋ろうとすると血圧が上がってきて元気になるし血流がよくなる。

それと滑舌の鍛錬になる。

脳の回転を良くし認知症の予防になる。

「また寄らしてな〜」と帰って行った。

安らぎのある生活

安らぎのある生活 1

 

金剛バプテストキリスト教会婦人聖書の集いより

 

聖書 詩篇4:1

 

聖書の「安らぎの生活」の言葉の中から、第1回目はダビデの経験から学ぶ。

 私が呼ぶとき、答えてください。

 私の義なる神。

 あなたは、私の苦しみのときに

 ゆとりを与えてくださいました。 聖書 詩篇4:1

 

1、ダビデの経験した安らぎは何か?

詩篇4編は、ダビデが主君サウル王に追われて洞穴に逃げ込んだ時の祈りである。

その中で神は「ゆとり」をくださったと語っている。

3千年前の言葉とは思えない現代的な表現である。

②ゆとりの定義

ゆとり」とは「物事に余裕があり、窮屈でないこと」と定義されている。

何かの問題に直面してはいるが、せっぱつまってない状態であって、

これがダメでもあれがあると考えるために余裕がある状態。

ダビデはどのようにしてこの「ゆとり」を経験できたのか。

 

2、「ゆとり」を見出したダビデ

祈り

ダビデは苦難の中で「祈り」をしている。

神を知らない人は苦難に対して自分に頼るか他人を当てにするか、または物質的なものに依存するしかないが、信仰者には全能の神に「祈る」という特権が与えられている。

②神が事態を変えられる

サウル王は何度もダビデを追い詰めたが、その都度守られてきた。

神が事態を変えられたからである。

今日にも神は驚くべき方法で私たちが直面している苦難の事態を変えてくださる。

③真実な人の励ましを通して

 サウルの子ヨナタンは、ホレシュのダビデのところに来て、

 神の御名によってダビデを力づけた。 1サムエル23:16

ダビデの親友ヨナタンダビデを力づけた。

今日も神は真実の友を通して心に励ましをくださる。

④心を変える事を通して

事態は変わらなくても、それに向かう心を変える事を通してゆとりを与えられる。

 主は私を広い所に連れ出し、私を助け出された。

 主が私を喜びとされたから。 詩篇18:19

コーラス・フェスティバル

富田林コーラス・フェスティバルに参加した。

今年で22回目だが、私たちグループは最初から参加している。

練習の時より少しは上手く歌えたかな?

 

海野洋二作詞、サラサーテ作曲、南安雄編曲「アンダルシアのロマンスより『あなたに』」と、

高田敏子作詞、三善晃作曲「四つの秋の歌より『枯葉』」の2曲を歌う。

 

夏の疲れと台風の後遺症と北海道の地震のショックがまだ続いている。

早く立ち直らなければ・・・。

 

蒸し暑くて疲れた〜。

私のお父さん 誂えた靴

私のお父さん つづき

 

BSの「美の壺」って番組が好きでよく見るが、昨日「靴の美」を取り上げていた。

紳士用の高級な手作りのピカピカの靴である。

見ていたら思い出したことが有る。

終戦後、百貨店ではおしゃれな靴が並び始めた。

私は高校生だった。

どういうルートで知り合ったのかは知らないけれど、父は奈良に住んでいる靴屋さんと知り合った。

どんな理由からかも知らないけれど、その小父さんに肩入れした。

そして私たち姉妹の靴をその小父さんに作らせるというのだ。

 

有る夜、小父さんは家にやってきた。

広げた紙の上に足を乗せたら、足の周りをなぞって型紙を作り採寸をした。

デザインと色は自分の好みを言ったのかどうかは忘れた。

 

靴やの小父さんはしばらくして再びやってきて仮縫いをした。

とにかくご大層な靴だったのであった。

 

前の爪先の皮と甲の皮を縮めて縫うモカシンスタイルで、皮のリボンが結んであった。色はブルーで制服の衿の色と同じだった。

既製品に比べて不恰好だし、いかにも手作りって感じで私は余り嬉しくなかったけれど、履きやすい靴に仕上がったのである。

通学に履いていたから、校則も自由な時代で靴の色は何でも良かったみたい。

私は靴の色に合わせて三つ編みの先にブルーのリボンを結んでいた。

 

その靴に父は幾ら支払ったのか知らないけれど、高校を卒業したら履かなくなってそのうち何処かへ行ってしまった。

今日見たテレビの番組では、50年前の靴を磨き専門店でピカピカに磨かせている紳士がいた。

父の好意を無にして、感謝もせず、ヘンテコな靴を作らせてあげた・・・ぐらいに思っていた傲慢な私だった。

大切に取っておけば良かったな~と今頃になって反省している。

 

実は私は人形作りをしていたが、人形の靴を作るのは難しかった。

皮を裁断して、皮用の糊でくっつけて仕上げるのだけれど、その時思い出していたのは娘の頃に誂えてもらった靴のことであった。

小父さんがしたように人形の足の型を取って皮を裁断して仮縫いをして何足も作った。

無意識のうちに過去に誂えた靴のことが頭に残っていたのだ。

 

今は靴を誂えるような贅沢は出来ないけれど、困っていた靴屋の小父さんに仕事を与えていた父の優しさを今頃思い出さてくれた。

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水分補給

何か疲れて伸びた。

地震のニュースを見たからなのか、被災者の気持ちを思うだけでしんどくなる。

実際に経験したらどんなに大変だろうか。

 

7、8月と熱中症を恐れて家にいて運動不足だったので体が鈍っている。

ちょっと外で片付けをしただけで滝の様な汗をかく。

汗の線が緩んだのだろうか?

水分補給。水分補給。

北海道大地震

災害が続く日本列島。

台風の後始末がこれからなのに、今朝は北海道で大きな地震が起きた。

本来なら娘は今北海道に滞在中だった。

余儀無く帰って来たので、暑い大阪の夏に「今北海道に居てたら・・・」とずっと文句を言っていたが、今となっては家に居てくれていることを感謝しないといけない。

 

久しぶりに歩いて公民館まで往復する。

汗はかいたが気持ちが良い。

家に篭っていたので外の空気を吸いながら歩くのは快適である。

途中に公園が2つあるが、大きな木が沢山倒れていて、早速植木職人が大勢で始末をしていた。

コーラスが終わって帰り道に見ると公園の木や枝はスッキリ片付いていた。

何という手際の良さ。

我が市はこうゆうことにはテキパキと早く動けるのだなあ。

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クルミはどたばた走り回っていたが、

どこへ行ったのか、余りに静かなので探しに行くとクローゼットに置いてある自分のキャリーバックに入っていた。

すわ! 災害に備えて逃げる訓練をしているのか?

猫に災害の予知能力が有るとすれば今夜ちょっと怖い。

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