私のお父さん つづき
BSの「美の壺」って番組が好きでよく見るが、昨日「靴の美」を取り上げていた。
紳士用の高級な手作りのピカピカの靴である。
見ていたら思い出したことが有る。
終戦後、百貨店ではおしゃれな靴が並び始めた。
私は高校生だった。
どういうルートで知り合ったのかは知らないけれど、父は奈良に住んでいる靴屋さんと知り合った。
どんな理由からかも知らないけれど、その小父さんに肩入れした。
そして私たち姉妹の靴をその小父さんに作らせるというのだ。
有る夜、小父さんは家にやってきた。
広げた紙の上に足を乗せたら、足の周りをなぞって型紙を作り採寸をした。
デザインと色は自分の好みを言ったのかどうかは忘れた。
靴やの小父さんはしばらくして再びやってきて仮縫いをした。
とにかくご大層な靴だったのであった。
前の爪先の皮と甲の皮を縮めて縫うモカシンスタイルで、皮のリボンが結んであった。色はブルーで制服の衿の色と同じだった。
既製品に比べて不恰好だし、いかにも手作りって感じで私は余り嬉しくなかったけれど、履きやすい靴に仕上がったのである。
通学に履いていたから、校則も自由な時代で靴の色は何でも良かったみたい。
私は靴の色に合わせて三つ編みの先にブルーのリボンを結んでいた。
その靴に父は幾ら支払ったのか知らないけれど、高校を卒業したら履かなくなってそのうち何処かへ行ってしまった。
今日見たテレビの番組では、50年前の靴を磨き専門店でピカピカに磨かせている紳士がいた。
父の好意を無にして、感謝もせず、ヘンテコな靴を作らせてあげた・・・ぐらいに思っていた傲慢な私だった。
大切に取っておけば良かったな~と今頃になって反省している。
実は私は人形作りをしていたが、人形の靴を作るのは難しかった。
皮を裁断して、皮用の糊でくっつけて仕上げるのだけれど、その時思い出していたのは娘の頃に誂えてもらった靴のことであった。
小父さんがしたように人形の足の型を取って皮を裁断して仮縫いをして何足も作った。
無意識のうちに過去に誂えた靴のことが頭に残っていたのだ。
今は靴を誂えるような贅沢は出来ないけれど、困っていた靴屋の小父さんに仕事を与えていた父の優しさを今頃思い出さてくれた。