a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

子供の頃のお正月

新しい年が明けた。
天気が良くて素晴らしい年になるような予感がする。
穏やかで静かな元日だ。年賀状の整理ぐらいで取り立ててすることもなし。
子供の頃のお正月は寒くても楽しくて心は暖かかった。
元日、家族揃って賑やかにお雑煮で祝っていると、早や玄関に年始の人の気配がする。
外回りの仕事を手伝ってくれている近所の小父さんだ。
暮にはお餅つきを取り仕切ってくれていたのだ。
家族が多いからお餅も沢山搗くので大変だった。
大きな鏡もち(鏡開きの日まで床の間に飾っていたから、黴も生えていたし細かく分けるのは一仕事だった。)丸い小餅を沢山(これを私たち子供が丸める。柔らかくて暖かく気持ちが良いのだ。)黒豆や干し海老や青海苔の入った伸し餅(これは少し硬くなってから切る。もっと薄くおかき用にも切るしお雛様用の霰にも切る。)中に餡を入れたのも作った。これは母と兄の好物だった。
家族は祖母と父と母、兄妹は6人も居て、お手伝いさんも居た。
おせち料理はそんなにご馳走は無かったけれど、数の子は大鉢に山に盛ってあったし、ぼうだらや黒豆や鰊を芯にした昆布巻なんかも一杯用意してあった。
午後には年始の客がゾロゾロ来る。
父の店の番頭さんや店員さん達などである。私は玄関で靴を揃えたり、お燗したお銚子を運んだりして手伝ったものだ。台所でお皿を洗ったりするのも手伝った。
そんな時、二番目の姉はお手伝いを決してしない。
彼女は音楽学校に通っていて、ピアノを弾くのにあかぎれ霜焼けは困ると云うのだ。年末のガラス磨きや庭掃除もしている姿は記憶に無い。
しかもお高く気取っていて使用人にお正月だからとサービスなんか決してしないのだ。
父はお酒が滅法強かったから、大勢の客を相手に長時間お酒を飲んでいても乱れなかった。
そして夜になって客が帰ると、私達とトランプやカルタをして夜遅くまで遊んでくれたのだった。
テレビが無かった時代、火鉢でお餅を焼いてもらって食べながら、ゲームをして過した元日の夜を懐かしく思い出す。