a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

学芸会のこと

今日はこどもの日。新聞に、1948年に祝日法で施行されこどもの日と定められたと有る。私が6年生の時だ。そして私は第一回憲法記念日のポスターのコンクールで金賞をもらっている。
4、5、6年生の子供時代は、私の人生の黄金期と言える位楽しい幸せな日々だった。
学芸会の話を書こう。
4年生の3学期に全校生徒のクラス別の劇の発表会が有った。B先生は隣のクラスに負けじと(隣はベテランの先生で『白雪姫』をするらしい。)やはりグリムでお姫様と蛙が出て来るお話に決め、配役を発表されたけれど、誰も蛙になりたくなくてお姫様になりたいのに、先生が決めたお姫さま役は、可愛いけど身体が弱くて欠席しがちなKちゃんだった。
すごいブーイング。思わぬ強硬な反対に先生はタジタジ。
「皆はどんな劇がしたいの?」と聞かれみなであれこれ考えて、何と吉屋信子の『紅雀』を出すことに決定。
『紅雀』は少女小説のベストセラーだった。
これをミュージカル仕立てにして、台詞の合間に歌を入れる。ズボンを穿いたヒロインの弟役のYさんが、悲しげな童謡のメロディーに歌詞をつけ変えて歌う。
ヒロイン“司まゆみ”役には誰がなったのか思い出せない。皆で決めて作った劇だから良い役に誰がなったからと言って文句も出なかった。
男爵家の兄さまは絣の着物に袴を穿いたTさん。きりりとして気品が有る。
バックグラウンドミュージックには、その頃お琴を習い始めたTちゃんがコロリンシャンと『六段の調べ』を弾き、私は男爵家の妹の綾さまの役で、着物を着ている。
「では、ここで綾さまに舞を舞ってもらいましょう。」と男爵家の母上がおっしゃっると、私はその頃習い始めたばかりの日本舞踊を披露するのである。
男爵家のお姫さまが舞うにはちょっと・・と思える端唄の『梅にも春』を舞うのであった。
ところが、ところがである。
伴奏が無くては踊れない。テープは勿論無い。レコードもプレーヤーも無い。
そこでどうしたかと言うと、なんと私の母が幕の陰で口三味線入りで、♪うめ〜にも〜は〜る〜の〜いろ〜そえて〜♪と歌ったのである。いくら先生に頼まれたからと言って良くやるよ。
でもこれは本当の話だ。
劇は大成功、ハッピーエンドの幕切れは観客も泣いたくらいの素晴らしい出来映えだったのである。