a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

お医者様のこと

急に暑くなってまるで夏の様だ。久しぶりに歌と体操の会に出席した。
今日の歌はモーツアルトの『5月の歌』。
♪楽しや5月草木はもえ♪懐かしい曲である。昭和22年「6年生の音楽」と説明が有るが、私はこの歌を歌うと、中学校1年生の時の爽やかな風が吹き込んで来る明るい音楽室が浮かんで来る。中学生になって始めて習った懐かしい曲だ。
体操も久しぶりに身体を動かしたので気持ちよかった。
さて、今日は子供の頃のお医者様の話である。
私達は良く病気をしたし、父は心配性でちょっと熱が出るとお医者様を呼んだので、村で開業している医者の殆どが知り合いになった。
朝、父が私の顔を見て、「この子熱が有るのと違うかな。」と体温を計ってくれると微熱がある。「学校を休ませなさい。」と父が言うと、私は大きな顔をして学校を休めて、布団を敷いて貰って寝ていられる。午後になるとお医者様が往診に来て下さると言う段取り。
引っ越して最初に診てもらったお医者様は、駅の近くのY田医院。お爺ちゃんの先生で、往診に来るのに何と人力車で来た。車夫に引かせた人力車にふんぞり返って乗って来て、おもむろに診察して下さった。その情景はまるで新派の舞台みたいだった。
次に仲良くなったのは(母は医者とすぐ仲良くなった。)我が家から田んぼを隔てて300メートル程先に見えているN山医院。夫婦で診療なさっていたが、男先生はちょっと変わっていて、子供相手に面白くも無い冗談を言うので大嫌いだった。
女先生は男先生が亡くなってから何故かM村医院と名が変わったが、信頼出来る良い先生で、栄養失調気味の私はビタミンの注射をしてもらっていた。洋風の建物で待ち合いには電話室が有った。建物の南側は広い庭で、先生はミツバチを飼っていてトーストに蜂蜜を塗ったのをご馳走になったことが有る。
その隣はT谷歯医者。ある夜、妹が虫歯の治療に行きけたたましく泣き叫んだ。
その声は田んぼの稲の穂並を越えて我が家まで轟き渡ったのである。
それから、戦後になって大きなお屋敷の離れを借りて開業なさったM先生。
人力車のお爺ちゃん先生の娘婿さんのT津先生。この先生は皮膚科の専門だったので、アトピーの私はずっと診てもらっていて、そのうち先生のお嬢ちゃんに日本舞踊の手ほどきもしたのである。
昔のお医者様は暇だったのか、毎日往診に来て下さった。3日も経つと病気はすっかり良くなったので、元気に遊んでいたら、先生がいらっしゃったので慌ててお布団に潜り込んだのだった。