a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

もんぺのこと

dollyちゃんが昨日の写真に対するコメントをくれた。
その中で、T子姉が“もんぺ“を穿いているのかと質問していたが、妙齢の女性はこの頃決してもんぺなるものは穿かなかった。
もんぺは労働着なのである。
太平洋戦争が激しくなると、子どもも大人も女である限り強制的にもんぺを穿かされた。
もんぺは幅がたっぷりしているので、普通の和服の上に穿くと動きやすくなる。
贅沢は敵だ!とパーマネントも禁止、スカートも穿いてはならぬ、女学生もセーラー服は駄目で、ヘチマカラーのダサイ服に絣のもんぺを穿かなければいけない。
でもおしゃれな人は抵抗して、和服地で着物とお揃いのもんぺを仕立てて着たりしたのだった。
男性は国民服に戦闘帽、足にはゲートルなるものを巻いていた。嫌な時代だった。
そんな訳で、写真は1938年の冬だから、まだ戦争の足音は激しく聞こえては来なかった。
この頃、姉は女学生(高校生)で学校へは制服、家に帰ると普段着の和服に着替えて三尺帯なんか結んでいたのかな。それとも洋服を着ていたのだろうか、今度聞いてみよう。赤ん坊の私は普段は多分洋服を着ていたと思う。
当時の写真の数は少ない。少ないけれど貴重な1枚の写真をじっと眺めていると、沢山な情報が埋まっていて飽きない。