a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

若き日の俳句

名古屋在住の、夫の古い俳句友達M氏から分厚い封書が届いた。
先月号の俳句誌が夫の追悼号で、長年読んで頂いていたので送ったが、その返事だった。
夫より2才年上の方だが、とても悲しまれて、自分の日記帳を繰って3月21日自分は何をして居たか、天候はどうであったか、調べて嘆いておられる。
夫が大学を卒業してから、父親の会社を継ぐ為に名古屋に修行に出されていたが、その間に俳句を勉強し、謡曲の面白さを覚えたようだ(これでは何の修行に出たのか解らない)。それより前からある句誌に参加していた。
M氏はその頃の句誌を繙いて、昭和23年(大阪より投句をして居た様子)から32年大阪へ呼び戻されるまでの、夫の作品を探し出し書き写して送って下さった。青年の頃作った夫の少し未熟だが瑞々しい感性の俳句が100句程。私は始めて鑑賞した句ばかりである。整理整頓が苦手だった夫には自分の作品をきちんと整理して残してなかったのだ。勿論句誌も保存していなかったから。
中にこんな句が有った。
 懐に重き聖書や衣替え    関学に通っていた頃の句と思われる。ちゃんと読んで勉強してたのかなあ。
 人の夏母亡き人の母思う   お母ちゃん子だった彼はこの年でも幼い頃に死に別れた母を恋い慕っていたのだ。
 酒量また親にかく似て年忘れ 彼も舅もお酒は好きだったが弱かった。

M氏は几帳面の代表みたいで、夫と仲が良かったのは正反対だったからだろう。
夫が生きていたらどう言って自分の昔の句を批評しただろうか。