a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

「人生を予測させるもの」

婦人聖書の集いのメッセージより。
箴言20:12を読む。
 聞く耳と、見る目とは、
 二つとも主が造られたもの。
口と耳は外部の情報を取り入れる気管である。
しかし、何でも入って来るのではなく、関心を持つことに寄って入って来ることがらは違って来る。
正しい見聞を妨げるものは何か。
1、恐れの為に正しく見えない、聞こえない、という状態になる。
第二列王記6:15〜17には、エリシャと若い者の違いが記述されている。
エリシャは敵に囲まれた。
若いものは恐れて「ああ、ご主人様。どうしたら良いのでしょう」といった。
エリシャは彼の目が開いて見えるように主に願った。
若者の目が開かれて見ると、何と、火の馬と戦車(神のみ使い)がエリシャを取り巻いて山に満ちていた。
若いものは恐れるあまり、敵の軍隊しか見えなかったのである。
2、失望のために。
ルカ24:13〜17には、
イエスのふたりの弟子が、エマオへの途上イエスご自身が近づいて、共に歩いておられたのに、ふたりの目(心の目)はさえぎられていて、イエスだとはわからなかった。
ふたりは十字架に架かられたイエスの遺体が、墓から消えていて見当たらないということを聞いて、失望していたのであった。
ふたりは暗い顔つきになっていた。17節
3、不信仰のために。
ルカ24:25〜27には、
キリストが必ず苦しみを受けて、それから彼の栄光に入るという予言者のことばを何度いわれても、信じていないふたりの心の鈍さをいわれている。
31節 彼らの心の目が開かれ、イエスだとわかった。
正しい見聞が出来ると、何が期待されるか。
エペソ人への手紙1:18〜19には、
1、希望に溢れる。
2、特権意識が芽生える。
 聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、18節
3、神の力の偉大さを知る。19節
パウロは違うレベルで生きている。
今の世は、大きな災害に襲われ、また経済的な混乱も有る。
先が見えない中で、我々も聖書の世界に立って生きて行く必要が有るのではないか。