a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

「あなたは高価で尊い」

礼拝メッセージより
マルコ10:46〜52

日本で最初の童謡は、西条八十作詞の「カナリア」である。
♪歌を忘れたカナリアは、背戸のお山に捨てましょか♪と歌詞に出て来る。カナリアは美しい声で鳴いてこそ価値がある。
歌うのが鳥の価値なら、人間の価値は何か?
地位、お金、ルックス等がこの世の価値と云えるのではないか。

エリコにバルテマイという生まれつきの盲目の人がいた。
バルテマイという名は、テマイの息子という意味である。ちゃんとした名もつけてもらっていない。
物乞いをして道端に座っていた。この頃盲人には乞食をするしか無かったのである。
イエスという方の噂を聞いて、逢いたいと思った。
どんな人の人生にも神はチャンスを与えて下さる。
イエスがバルテマイに逢いたいと思われたに違いない。
 「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんで下さい。」
 と叫び始めた。47節
ダビデの子とは救い主という意味である。
彼は何度も叫んだ。
バルテマイは自分には何の価値もなく、愛される資格はないと思い込んでいた。
神は人間のある時期に人間本来持っている価値を示される。
赤ちゃんは、存在そのものだけで価値が有る。
所がそれは一瞬だけで、成長して学校に行くともう成績がよいとか能力で価値づけられる。
存在だけではどうにもならない時がやって来る。
 わたしの目にはあなたは高価で尊い
 わたしはあなたを愛している  イザヤ43:4

何の形容詞もついてないあなた。
そのあなたを存在だけで愛して下さっている神。
命を捨てても惜しくはないと、十字架に架かられたほどに愛して下さっている。
今の世は存在だけでは駄目という罪に汚染されている。
その為に心が荒んでいる。

誰も声を掛けられることが無かったバルテマイに、イエスが声を掛けられた。49節
イエスは目を開かれた。心の目を明らかにされた。バルテマイは生きる喜びを知った。52節

バルテマイは勇気を出して叫んだ、ということに大きな意味が有る。
はっきりとした願いを神に申し上げる必要がある。