a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

「エサウ系図から見えて来るもの」

日曜礼拝メッセージより。
創世記36:6〜9
この箇所はエサウ(エドム)の系図が長々と続く。15節
エドム=赤い。毛深くて赤く見えたのだろう。
ここから見えて来るものは何か。
エサウの子は首長(名誉職、いわゆるえらいさん)がずっと続き、また温泉を発見した子も居る。24節
エサウの家系は神を信じない、快楽主義者である。安楽な世界に住み続けた。
一方、信仰の人ヤコブの生涯は波瀾万丈。艱難辛苦の連続であった。
この後も、息子のヨセフはエジプトに売られてしまった。37章。その上飢饉に見舞われる。
この対照的なエサウとヤコブの違いは何か。またそこから見えて来る神のメッセージは何か。
1、神を信じる理由は何ですか。
科学的に立証したわけでは無いが、神の前では罪人である故、イエスキリストを信じる。
罪がない人が居るだろうか。

2、ヤコブは苦難が有るからこそ神を求めた。
 苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。
 私はそれであなたのおきてを学びました。詩篇119:71
神は人を選んで試練を与えられる。
3、最終幸せなのはどちらか。
この世の視点から言えばエサウが幸せである。
しかし、死後の裁きが待っている。ヤコブには罪の赦しを与えられ永遠の命を与えられる。
エジプトから脱出したイスラエルの民は、40年荒野で苦しみ餓えを経験し、マナをたべさせられた。
人はパンだけで生きるのではなく、主の口から出る全ての物で生きるということを解らせるためである。申命記8:2〜3
 あなたを苦しめ、あなたを試み、ついには、あなたを幸せにするためであったー 申命記8:16

この所留守がちなのでふくれている猫。