a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

告別式に参加する

中学校の恩師S・I先生が亡くなられた。
私たちの中学校には、奈良女高師を卒業されてすぐに赴任されたのだった。
先生は私の高校の先輩でもあり、同窓会の役員もご一緒にさせて頂いたので、思えば長いおつきあいだった。
ご夫婦とも中学校の恩師であるが、お二人には子供がなく、退職後は2人でゴルフをしたり海外旅行に行ったり別荘で過ごしたりとそれはそれは仲睦まじいご夫婦だった。
私たちの同期会にも2人で出席されていた。
今日喪主として立たれながらも、挨拶やなにやかや全て弟達に任せて座っておられるのは見るのが辛かった。
亡くなられた先生は1人娘で、愛すべきところもたくさん有るけれど、正直で時にはきつい言葉を誰彼無しにかけられた。恐い先生なのだった。
「叱られたことの一つや二つ」皆経験があるのだ。
私が乳癌の手術をしたと聞いた時には、自分の経験も話して下さって「あなたにはお人形が沢山有るのだから、病気に負けずに頑張らないと」という不思議な慰めの言葉だったし、夫の死去の時も「誰も私に知らせへんかった」と怒ったはったらしいし、後でそれはそれは優しいお悔やみの言葉を下さった。
ずっと以前、我が家の人形展に和服で来て下さった。2人でひな壇の前で撮った写真が、ミニコミ紙に掲載されたので、事後承諾で新聞を渡すと「嬉しいわ」と喜んで下さった。

高校の入試の時に引率して下さったことも懐かしい。
懐かしい思い出がいっぱいある。
出来の悪い生徒だったのに可愛がって下さって、節子先生ありがとう。