a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

「私は私以上の私になれる」

日曜礼拝のメッセージが、創世記を終り、次回から新約聖書ヨハネ福音書になる。
今日はヨハネ福音書に入る前の序論として、マルコ3:16〜17を読む。
イエスの弟子になったヨハネの若い頃の姿を記している。
 こうして、イエスは12弟子を任命された。
 そして、シモンにはペテロという名をつけ、16節
 ゼベタイの子ヤコブとヤコブの兄弟ヨハネ、 
 このふたりにはボアネルゲ、すなわち、雷の子という名をつけられた。17節
ヨハネ=主は恵み深いという意味だが、イエスに激しく怒りっぽい性格を見抜かれた。
イエスは面白い方でニックネームを付けるのがお好きだった。
ヨハネの晩年のことを弟子は愛の人と言っている。
人間はコア(中心部)は代わらないが持ち味は変わるのである。
何が人を変えるか。
ヨハネ福音書に自己紹介をする箇所がある。
ヨハネ13:23、19:26、20:2、の3カ所、に主が愛しておられた弟子と自分のことを表現している。
この表現は13章から始まっている。
ここは最後の晩餐の席で、ヨハネはイエスの傍に座った。
そしてイエスの吐く息を間近に感じて、愛されている実感をかき立てられた。
イエスは誰をも平等に愛されるが、ヨハネには愛されている実感が大きかった。
「神の愛」を深く感じることで、人は変えられる。

1、弱さは変えられると信じること。
イエスは弟子シモンをペテロ(岩)と名前を変えられた。もろい弟子だったが後に変わった。
2、嘆くのではなく、変えてもらえるように願うこと。
ヨハネは「雷の子」と言われたが、それだけに独特の感性を持ち、批判力、分析する力、を持っていたから、後に福音書を含む5つの書物を書くに至った。