a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

「ヒゼキヤの落とし穴」

婦人聖書の集いメッセージより
イザヤ39:1〜8
ユダの王ヒゼキヤは、アッシリアが攻めて来た時、神に祈って打ち勝った。
その後、死の病からも神に祈って癒された。
バビロンの王メロアク・バルアダンは、ヒゼキヤ王が元気になったお祝に使者を使わしたが、ヒゼキアは遠いところから来てくれたと喜んで、持っている武器や宝物を全部見せた。
 彼らに見せなかった物は1つもありません。2節
そこで預言者イザヤが来て主の言葉を伝えた。
 すべて、バビロンへ運び去られる日が来ている。
 あなた自身の息子たちのうち、捕らえられてバビロンの王の宮殿で宦官となる者があろう。5〜7節

この所から示される真理は、
1、祝福の後に気をつけよう。
ヒゼキヤは、有頂天になって舞い上がってしまったのである。
 立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。1コリント10:12
2、示すべきは祝福の主。
ヒゼキヤは物を見せた。主を示すべき必要があった。
自分は如何に恵まれているか、と宝物を見せたのが間違い。油断して落とし穴に落ちたのである。2コリント4:5
3、周りへの配慮が足りない
イザヤの預言を聞いた時に、愚かだったと神に謝らねばならなかった。
ヒゼキヤはユダの王の中でも神に信頼する立派な王であった。
にも関わらず、ここでイザヤに答えて訳の分からない言葉を発した。
「あなたが告げてくれた主のことばはありがたい。」
こんな恐ろしい預言がなぜ有り難いのだろう??
ヒゼキヤは自分が生きている間は、平和で安全だろう、と思ったから、とある。8節
聖書は事実を書いている。判断は読んだ者が考えること。
人間100%完全な人はいない。有頂天になって、おろかな面が出たとしか思えない。
事実100年余り後に、ユダの国はバビロンに滅ぼされて、貧しい人だけを残して全て捕囚となってバビロンに連れて行かれ崩壊する。