a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

礼拝メッセージより

「涙の谷を過ぎる時も」
詩編84:5〜7
 なんと幸いなことでしょう。
 その力が、あなたにあり、
 その心の中にシオンへの大路のある人は。
 彼らは涙の谷を過ぎるときも、
 そこを泉のわく所とします。
 初めの雨もまたそこを祝福でおおいます。
2008年9月1日の朝、隣で寝ていた夫の異変に気づいた。
救急車で運んでもらい入院したが、重傷の脳梗塞で治らなかった。何故もっと早く気づかなかったのか悔やんだ。
ある友達に「一緒の部屋で寝てたのと違うの?」と何気なく云われた言葉が胸に刺さって落ち込んだ。後悔の念がのどの奥に固まりとなって、嗚咽の声しか出なくなった。夫の友人たちの電話にも泣き声しか出せなくなり皆とても心配して下さった。
当時アメリカにいた娘に、牧師先生に話を聞いてもらいたいと頼んだら、早速お電話を下さった。
「起こってしまったことを悔やむよりそのエネルギーをご主人の看病に使いなさい」とおっしゃって、電話を通してお祈りをして下さった。
不思議なことに、胸の固まりがすーっと無くなり私の心に平安が戻って来た。
それ以来7か月、私は涙を流すこと無く毎日病院へ通って夫の看病が出来たのだった。
11月に入って礼拝に出席するようになり、年が変わって3月12日、夫と共に病床で洗礼を授かった。
夫は間もなく天国に召されたのだけれど、充分に看病出来て、娘も私も平安な気持ちでいられたのだった。
涙の谷を通る理由は、泉の湧く生涯を体験するためにある。
3つのしてはならない生き方がある。
1、過去に捕われてそこから離れない。
2、言い訳に終始する生き方。
3、うらみつらみで生きる。