a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

礼拝メッセージより

「とりなし手がいる幸い」
出エジプト32:30〜34
モーセの生涯
中西正夫先生は、子どもの頃とてもやんちゃで、お父様によく叱られたそうだ。ある日もいたずらをして叱れれて食事もお預け!と言うことになったが、おばあ様が手をついて「どうぞ許しやって下さい」と頼んだので、許してくれたと言うエピソードを語られた。おばあ様がとりなして下さったのだ。
これがとりなしである。
あなたにはとりなしてくれる人がいるだろうか。
イスラエルの民は、モーセシナイ山に上って十戒を与えられている間に、解っているのに神に背いて金で造った偶像を拝んだ。
モーセは烈火の如く怒った。32:19

1、しかしモーセは神にとりなしをした。32:32
もし、彼らの罪をお許し下されるなら、命の書(永遠の救い)から私の名を消し去ってください、とまで言ってとりなしをした。
モーセの民への強い愛から生まれたとりなしである。
箴言27:5

2、とりなしは事を動かす。32:33〜34
箴言25:15
モーセは神の心を動かして約束を取り付けた。
事が動かないと諦めてしまう事はないだろうか?
心の中に祈ろうとしないっで力で動かそうとする。
ピリピ2:13

3、最強の取りなし手は。
  従って御自分によって神に近づく人々を
 完全に救う事がおできになるのです。
 キリストはいつも生きていて
 彼らのためにとりなしをしておられるからです。ヘブル7:25
あなたにはとりなして下さる人はいるか?
孤独、悲しみの中にいるとき、見捨てない神が居られることを忘れない。