昨年から欠席していた婦人聖書の集いの資料を私のためにとっておいて下さって、Mちゃんが届けてくれた。
今日は祭日でリハビリもお休みだし、忘れないためにブログに書いておこう。
御霊の実 「愛」 ガラテヤ5:22
1、聖書の愛の誤解の理由
愛アガペ=命を捨てる愛としか理解しない場合、一般では実践不可能で、落ち込むか諦めるかになりがち。
しかしアガペの愛の基本はそうではない。
(Ⅱテモテ4:10「デマスは今の世を愛して‥‥」この愛もアガペという用語を使われている)
愛=「命を捨てる愛」というよりも「見返りを求めない愛」なのである。
2、三種類の「愛」を理解する。
①エロスの愛(受ける愛)
相手→自分
自分に対し相手からひたすら求める。赤ちゃんはこれに徹しているが、大人ならどうなのだろうか。
②フィレアの愛(与え受ける愛)
自分← →相手 日本のお返しの習慣はその典型 、しかし相手からのベクトル(矢印の長さ)が小さいと不満。
③アガペの愛(与えて求めない愛)
自分→相手 与えて見返りを求めない愛
3、どうしたらアガベの愛に生きることが出来るか。
この愛を実践し苛立たない道をイエスは教えてくださった。
マタイ6:1-4
1 見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられません。
2 だから、施しをするときには、人にほめられたくて会堂や通りで施しをする偽善者たちのように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。
3 あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。
4 あなたの施しが隠れているためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。
人に報いを求めずとも神が報いてくださることを知って 苛立ちから解放される。
相手←自分←神
病院の看護師さんたちは職業とはいえ、アガベの愛を実践して居る。白衣の天使なのだ。
御霊の実 2「喜び」ガラテヤ5:22
御霊の実である喜びとこの世の喜びの違いは何だろう。
この世の喜びは好ましい結果や情報によってもたらされるもの 。
語源は
喜び=「カラ(原語)」は「カリス」恵み →「カリスマ」賜物。
喜びの体験をするには、
わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
ヨハネ15:5
いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。 ピリピ4:4
わがたましいよ。主をほめたたえよ。
主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。詩篇103:2
普段からみ言葉による恵みを心留める習慣を作ったり、今までの神の導きから恵みを数える習慣を持つこと。
今日は歩く自主練習をする。病棟の西側からわが家の方を見る。
娘とヴァイオリニストのYさんとプリンのおやつ。