a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

大胆な親

H子姉と電話でしゃべった。
よう昔のことを覚えてるね、と褒めてくれた。
H子姉が言った。いくら食糧難とゆうても子供だけで淡路島に長い逗留を許したものや。伝馬船を借りて沖に漕いでいったこともあって、沖で船から順番に飛び込んで泳いでいた。海で溺れるなんて想像せえへんかったのやろか?と。ライフジャケットなんか無かったし。
私が4年生のこの夏は1年生の妹も一緒に行った。
船に弱い母は、ついても来無かった。「気つけて行っといで」と送り出したあと、やれやれとばかり羽を伸ばしていたのだろうか。過保護とは程遠い母だった。
船に弱いといえば、M子姉は船酔いするので、船に乗る時おまじないをして、優しいH子姉はおまじないのお手伝いをしたそうだ。
このM子姉は司令塔のC子姉のいうことを聞かず、喧嘩をして怒って「帰るわ」とさっさと一人で大阪へ帰って行った。
一人で船に酔えへんかったのやろか?

両親は年頃のC子姉のことも気がかりではなかったのか?用心棒の兄もまだ若かったし。

H子姉の思い出の中に、雑炊には小松菜が入っていて、こんなご飯しか食べられへんのかと情けなかったらしい。食べ盛りだったんだ。
大根やお芋も入っていた。今のように卵がかかっているわけでなく、お米の粒と野菜だけの雑炊。鰹節や出汁昆布や椎茸などの備蓄があったのだろうか?
H子姉は魚が好きで、情けない顔をしながら出しジャコを毟って食べていた。
今は好きな魚もなんでも食べられて、元気な老後を過ごしている。
「涼しくなったら、一度会おうね」と約束した。

今の豊かな暮らしに感謝して、毎日の食事は自分で考えて調理をして楽しんで食べることにしている。
冷蔵庫の中に冷凍食品もあるし、食材には困らない。
デザートも作っている。
今日は豆乳の寒天プリン。カラメルの代わりにバラのジャムを乗せた。


今日のくるみ
ママが映画鑑賞の時はお気に入りのクッションに寝そべって。刺繍の盛り上がりが気持ち良いの。