a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

「小さき者への愛」の譬え話

婦人聖書の集いより
トルストイの「靴屋のマルチン」、ディケンズの「クリスマスキャロル」。
「いと小さき者への愛」に生きることこそ天国を保証されるという結論にに導かれる話だが、果たしてこのテキストは
それを教えているのか。
マタイ25:31−46

1、善行が救いに導くという間違い
カトリック協会では「善行の功徳によって救いにあずかる」(カトリック公共要理)としている。
しかし聖書は救いについて以下のように教えている。
エペソ2:8−10
・救いは行いによらずキリストへの信仰のみによる
・善行は救われる為にするのではなく神への感謝としてなすべきもの
・その善行も神によって備えられている→謙遜を教える
プロテスタントカトリックとの決定的な中心的教えの違いである。

2、このテキストの意味
・このテキストは「善行」が「救いの基準」であると教えているのではない。
なぜなら34節に「世の初めからあなたがたの為に備えられた御国を継ぎなさい」とあるように、「善行」が行われる前に「救い」は明白であった。
また「正しい人たちは永遠のいのちに入る」46 とあるように「善行」を行うことによって「正しい」と認められたのではなく、「正しい人」が「善行」を行ったのである。
・このテキストは、すでに救いに預かった者が無私のの愛の業を示すべきことを教えている。

結び 当時、信仰があるという人たちの中に善行や愛の業という実を結ばない人たちがいたので、キリストはその警鐘をされた。

トルストイヒューマニズムの人
ドストエフスキー=信仰深い人