梅雨があけた。輝くような晴れた空。
しかも今日は休日。
好きなことをして1日過ごした。
掃除、夏みかんのマーマレードを煮て、今欠席している聖書の会の学びをして、昼寝をして、読書をした。
山上の垂訓パート2(1)
あなたがたは、地の塩です。
ここからは山上の垂訓パート2に入る。
「八福の教え」以降のマタイ5:13~7:29までの学び。
聖書 マタイ5:13
1、地の塩の意味
地の塩のピリッとしたからさ。
これから防腐剤としての塩の働きとして、社会の腐敗を防ぐ信仰者の働きを想定してしまうのだが、
新約聖書での「塩」に関する御言葉はかなり用法が異なる。
あなたがたのことばが、
いつも親切で、塩味のきいたものであるようにしなさい。
そうすれば、ひとりひとりに対する答え方がわかります。 コロサイ4:6
古代での味付けは塩だけであった。
塩は食品の持ち味を引き出させ、いっそう美味しくさせたのであった。
①キリストが「あなたがたは地の塩である」と言われた時、
それは社会の腐敗を防ぐ働きをせよと言われたのではなく、他人の持ち味を引き出すような親切な言葉が大切であるとかたられたのである。
②親切な言葉が相手に対する答え方(関わり方)も分かってくる。
2、塩味で共に生きる
塩は、ききめのあるものです。
しかし、もし塩に塩けがなくなったら、何によって塩気を取り戻せましょう。
あなたがたは、自分自身の内に塩気を保ちなさい。
そして、互いに和合して暮らしなさい。マルコ9:50
①自分自身のうちに塩気を保ちなさい。
他人を生かすかどうか考える前に、自分に塩による味付けが必要なのである。
言い換えれば神の恵みを受け満たされることが先決である。
②関わる人と和合して暮らしなさい。
相手を陥れたり、非難することでなく、どうすれば相手を生かせるだろうか、持ち味を引き出せるだろうかと考えることである。
3、地の塩である私たち
キリストは私達が地の塩であると言われた。
頑張って地の塩になるのではなく、
本来神の恵みに生きる時、存在そのものが地の塩になり得る。