a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

山上の垂訓 (2)ばか者と云うような者はゲヘナに投げ込まれる

真夏は目の調子が悪くなるのが常だけど、涙が出て目尻が赤くなったので、眼医者に行ってきた。緑内障の薬も要るし。

上瞼だけでなく下まぶたもシワが寄ってくると、涙がそこで淀むらしい。

眼球を潤した涙は目頭のところから流れて行くのだが、上手く流れないのだ( ;  ; )

 

英国の新しい首相は美人だが目の当たりのシワがすごい。アイラインを濃く塗ってあるのが目立ってみっともないな〜と悪口を言ってた(もちろん独り言)。

私はみっともないどころでは無いのだ。

塗り薬といつもの点眼薬を処方していただく。

 

  *  *  *  *  *  
 

山上の垂訓 (2)ばか者と云うような者はゲヘナに投げ込まれる

聖書 マタイ5:21-22

 

1、誤解された解釈

①守るべき道徳的な要求として読み取る。

代表的人物:太宰治

彼は山上の垂訓をそのまま守るべき言葉として読もうと努力したが、行き着いた結論は「到底自分は守ることはできない。

自分は『人間失格』だ」と。

②やがて来るべき神の国での教えであるとして読み取る。

代表的人物:トルストイ

彼は聖書を題材にして多くの美しい民話を書いたが、それは美しいが現実離れをしている。

天国の姿の民話なのだ。

キリストが天国に行かなければ意味無いことを現実問題に悩む人に語ったとは思えない。

 

2、正しい解釈

この山上の垂訓には、

「昔の人々に ○○と聞いている、しかし私は△△と言います」という箇所がよく出てくることから分かるように、

旧約聖書を間違って理解していた人々に正しい意味を教えられたのであった。

 

①当時の間違った解釈

十戒の六戒「殺してはならない」の理解として、殺人だけはしてはいけないと考え、人を人格否定のばか呼ばわりしていた背景があった。

②それに対してキリストは十戒(律法)の本質は単なる禁止要項ではなく、神と人を愛することであり(マタイ22;36-40)(その観点から、人格否定の殺人もあり得ることを教えられた。

③この教えを聴く時に自分の罪の姿に直面せざるを得ない。

だから聖書はキリストの救いを示すのである。

 

出たついでにデパートをうろついた。

「値下げ」の赤札につられて冷やかし歩く。

気に入ったのはなし。地下でお惣菜を買って帰る。