a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

十字架上の第七の言葉

キリストが十字架上で語られた最後の言葉を学ぶ。
文字通り地上の生涯の最後の言葉である。
と同時に私たちも人生を終える時の在り方について深く教えてくれるみ言葉である。

第七の言葉「父よ。わが霊を御手にゆだねます」ルカ23:46

1、人生の終わりの時は、天国に帰る時である
キリストは人生を終わるにあたり、父なる神にご自分の霊をゆだねられた。
限りある肉体は地上の生活において務めを終えたために、それを「脱ぎ捨て」、永遠の天国で生きるために「霊を父なる神にゆだね」られた。
私たちの与えられた体は地上では病や障害を経験するが、死はその体を脱ぎ捨て、天国で新しい体を得る霊の着替えの時なのである。
 私たちの住まいである地上の幕屋がこわれても、神の下さる建物があることを私たちは知っています。それは、人の手によらない、天にある永遠の家です。
 私たちはこの幕屋にあってうめき、この天から与えられる住まいを着たいと望んでいます。
 それを着たなら、私たちは裸の状態になることはないからです。
 確かにこの幕屋の中にいる間は、私たちは重荷を負って、うめいています。
 それは、この幕屋を脱ぎたいと思うからでなく、かえって天からの住まいを着たいからです。
 そのことによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためにです。  第2コリント5:1−4

2、人生の終わりの時は、全てを神に委ねる時である
キリストにとって人類の救いの道は完成したが、心残りの事がらはおありだった。弟子たちのこと、信仰を持った多くの人、家族のこと・・・。
未完のことがお有りなのだが、全てを父なる神に委ねられた。
それは神が全てのことを完成してくださるお方だからである。私たちの人生を終える時も未完の事がらが仮にあったとしても、全て神に委ねることができる。
なぜなら神こそ委ねられた事がらを最もふさわしい形で完成してくださるからである。
 主は私にかかわるすべてのことを、
 成し遂げてくださいます。  詩篇138:8

3、人生の終わりの時は、一日を終えるごとく終わるべきである
キリストは地上の最後の祈りを、敬虔なユダヤ人が一日の終わりの祈りをもって閉じられた。
 私の霊を御手にゆだねます。  詩篇31:5
マルチン・ルターは「あなたは世の終わりが来た時に何をしますか」と尋ねられ、こう答えた。「今日予定していたリンゴの苗木を植えるでしょう」
私たちも地上の人生を終える時、慌てふためくことなくその日の成すべきことを淡々としたいものである。