a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

キリストは単なる聖人か

12月と思えぬ寒さ。

家の中の掃除に専念する。

洗面台とかお手洗いも。

掃除して良かったと思うのは、洗面台に立つ度に気持ちが良くて「あれ〜きれいやんか」と感動できる。

だからいつも美しく保っていると良いようなものだけど、余裕が無いというか、やる気が無いというか・・・しゃあないと思っている。

 

礼拝メッセージより

「キリストは単なる聖人か?」

聖書 ピリピ2:611

 

キリストは神の御姿である方なのに、ご自分を無にして人間と同じようになられたお方である。6、7

 

十字架に掛かるため、私たちの罪の裁きを身代わりに引き受けてくださった方である。

 自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死までも従われました。 

芥川龍之介の児童のための小説に「蜘蛛の糸」がある。

お釈迦様が蓮の池のほとりを歩いておられると泥棒だったカンダタが地獄に居るのが見えた。

たった一つの善行は蜘蛛を踏み殺さなかったことで、蜘蛛の糸を下げて助けてやろうと思われた。

彼は細い蜘蛛の糸をよじ登ったが、後からぞろぞろ罪人たちがついて登ってくるので、「私の糸だ。登ってくるな!」と叫んだら蜘蛛の糸はプツンと切れて真っ逆さまに再びカンダタは地獄に落ちた、という話。

エス様なら蜘蛛の糸を垂らすなんてことはなさらない。

自らの衣を脱いで裂き、つなぎ合わせて自ら迎えに降りて救い出してくださるだろう。

 

人は、人生をひたすら獲得するために生きてきた。地位とか財産とかを。

喪失は辛いが、主にお返しすると思えば良い。

お捧げすると思えば良い。

ゼロで始まった人生なのである。 4、5

 私は裸で母の胎から出てきた。

 また、裸で私はかしこに帰ろう。

 主は与え、主は取られる。

 主の御名はほむべきかな ヨブ記1:21

 

長島愛生園の患者である俳人、たまきさんはこのような句を読まれた。

「目を捧げ 手を捧げて クリスマス」

クリスマスは主に感謝するときである。