美容院へ行く。
薬が効いたのか、耳石はおとなしく元に戻って(?)目眩は治った。
午後、公民館へ歩いていく。
今年最後の練習だった。
お互いに「良いお年を・・・」「風邪ひかないように・・・」「おもち喉に詰まらせないで・・・」と挨拶してあってから帰る。
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ヨブ記(6)
婦人聖書の集いより
苦難の中でしか味わえ無い真理の発見も恵み。
聖書 ヨブ記14:7-9
木には望みがある。
たとい切られても、また芽を出し、
その若枝は絶えることがない。14:7
1、自然界から学べる慰め
・キリスト教に抵抗する人も、このような自然界から学ぶ知恵には心開くものである。
キリストは「空の鳥、野の花」の自然界から教えておられる。
・クリスチャンでも強い試練に神のことばに心開けない時があるが、このような自然界からの間接的な語りかけには心に優しく響く。
神は聖書を通して直接的に語り、自然界を通して間接的に語られる。
2、「切られる」ことは人生の終わりではない
・「失うこと」や「切られること」は人生で辛く「もうこれで終わりではないか」と思ってしまうが、そうではない。
切られても、また芽をだす。
・切られなくても芽は出るが、それは大した芽にならない。
切られてこそ良い芽がでる。ヨハネ15:2
3、人生は何度もやり直せる
その若枝は絶えることがない。7
たとい、その根が地中で老い、その根株が土の中で枯れても、
水分に出会うと芽を吹き、苗木のように枝を出す。8、9
正しい者は七たび倒れても、
また起き上るからだ。
悪者はつまずいて滅びる。 箴言24:16
天に召されるまでチャンスは与えられている。