a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

ヨブ記(6)

美容院へ行く。

薬が効いたのか、耳石はおとなしく元に戻って(?)目眩は治った。

午後、公民館へ歩いていく。

今年最後の練習だった。

お互いに「良いお年を・・・」「風邪ひかないように・・・」「おもち喉に詰まらせないで・・・」と挨拶してあってから帰る。

 

     *  *  *  *  *  *  *

 

ヨブ記(6)

婦人聖書の集いより

苦難の中でしか味わえ無い真理の発見も恵み。

聖書 ヨブ記14:7-9

 木には望みがある。

 たとい切られても、また芽を出し、

 その若枝は絶えることがない。14:7

 

1、自然界から学べる慰め

キリスト教に抵抗する人も、このような自然界から学ぶ知恵には心開くものである。

キリストは「空の鳥、野の花」の自然界から教えておられる。

・クリスチャンでも強い試練に神のことばに心開けない時があるが、このような自然界からの間接的な語りかけには心に優しく響く。

神は聖書を通して直接的に語り、自然界を通して間接的に語られる。

 

2、「切られる」ことは人生の終わりではない

・「失うこと」や「切られること」は人生で辛く「もうこれで終わりではないか」と思ってしまうが、そうではない。

 切られても、また芽をだす。

・切られなくても芽は出るが、それは大した芽にならない。

 切られてこそ良い芽がでる。ヨハネ15:2

 

3、人生は何度もやり直せる

 その若枝は絶えることがない。

 たとい、その根が地中で老い、その根株が土の中で枯れても、

 水分に出会うと芽を吹き、苗木のように枝を出す。8、9

 

 正しい者は七たび倒れても、

 また起き上るからだ。

 悪者はつまずいて滅びる。 箴言24:16

天に召されるまでチャンスは与えられている。