a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

主の祈り(3、4)

一日中降り続く雨。

被災地に降る雨を思うと気が滅入る。

 

ポールニューマンの「栄光への脱出」1960年製作を観た。

ユダヤ人のキプロス島からパレスチナへ船で脱出する話。

栄光への脱出 [DVD]

 

出エジプト記を擬えている。

寝なかったけれど、長い映画で途中退屈した。

 

  *  *  *  *  *  *  *  *

 

主の祈り(3)

金剛バプテストキリスト教会婦人聖書の集いより

 

聖書 マタイ6:9

 御名があがめられますように

イエス・キリストが教えてくださった「主の祈り」。

第一に祈るべきことは御名を崇めること。

何故、生活に切実に必要より御名を崇めることを先ず祈りなさい、と教えられたのだろうか。

 

1、神に造られた人間として当然

眠っている時も心臓や肺も命の活動を支え、起きている間も全て神の恵みがあればこそ。

その神に感謝し、恵みを褒め称え御名を崇めるのは人間として当然の祈りなのである。

 

2、生活の必要から祈り始めることは、心配からの解放よりも心配に支配される。

生活のことを先ず祈り始めると、付随したあのこと、このことが気になって心配の種に支配される。

結局、心労が絶えずこころと体を蝕む。

  ルカ10:41

 

3、私たちの心配なことは既に神に知られ、備えられている。

 あなたがたの父なる神は、

 あなたがたがお願いする先に、

 あなたがたに必要なものを知っておられるからです。 マタイ6:8

御名を崇める祈りは、神に信頼して生きる信仰のチャレンジでもある。

 

4、謙遜を学ぶために必要だから

私たちは少しの成功や好評に酔いやすい。

祝福は神のお膳立てがあればこそである。

 主の祝福そのものが人を富ませ、

 人の苦労は何もそれに加えない。  箴言10:22

御名を崇める祈りは、私たちにへりくだることを教えてくれる。

 

 

主の祈り(4)

聖書 ルカ11:2

 御国が来ますように

 

この祈りを理解するには「御国(神の国)」を理解することである。

聖書が教える「神の国」には三種類の意味がある。

 

1、死後に用意されている天国のこと

この祈りを正しく理解するには「来る」の意味を理解することが必要である。

「来る」は英語のCOMEと同じで、訳は「行く」とも訳される。

だからこの祈りは「私や家族や友人が天国に行けますように」という意味である。

この天国への道は十字架にかかって復活されたキリストを信じることを通して実現したのである。

 

2、心の中における神の国のことである。

肉の行いに生きている者は神の国を相続することはありません。ガラテヤ5:21

この「神の国」は「天国」の意味ではない。

もしそうならクリスチャンも肉の行いに負ける場合もあり、キリストを救い主と信じたのに天国に行けない、という矛盾に陥る。

この「神の国」は御霊の実を結ぶ神の国のことである。

だから、この祈りは「私の心に神の国が豊かに宿せますように」という祈りである。

 

3、キリストが地上に再臨され正しく治められる終末の神の国のことである。

  黙示録5:9、10には世の終わりに地上に実現する神の国(王国)のことを教えている。

今の私たちを取り巻く環境は不完全で醜い。

神の御心が踏みにじられ悩まされるが、最後には神の支配による世界が実現する。

「不完全な世界や私たちの環境にも失望せずいつの日か神が正してくださる御心を信じて生きられますように」という祈りである。

 

 愛する人たち。

 自分で復讐してはいけません。

 神の怒りに任せなさい。

 それは、こう書いてあるからです。

 「復讐はわたしのすることである。

 わたしが報いをする、と主は言われる。 ローマ12:19