朝から雨。
陽が差さないと寒い。
我が家ではコタツもすでに出したし、床暖房もスイッチオン。
クルミは寒くなるとピーピー鳴いてうるさい!!
さて、両親の晩年、私は40代後半だったか。
母から「三味線の皮を張り替えたから弾きに来てくれるか?」とお呼びが掛かった。
実家は自転車で行ける距離だったので、私は長唄の楽譜と撥(ばち)を持って出かけた。
「越後獅子」やったら覚えているやろ~と糸をチューニングして弾き始めたけれど、全く指は忘れてしまっていた。
あれだけ上手に(?)弾けたのに、20年以上経ったら指は動かない。
しゃあないから「松の緑」を弾くわ。「松の緑」は一番最初に習った短い曲。
これもさっぱり忘れてしまっていた。
いや、一番最初に習ったのは「お月さん幾つ」だった。
お月さん幾つ
十三ななつ
まだ年や若いな
いつも 年を取らないで
三日月になったり まん丸になったり
ちんとんしゃん
未だ楽譜が無くて、お師匠さんと対面で教えてもらったのだ。
口三味線では上手なのだけれどね。
・・・・・
仰山月謝を払ったのに勿体ないことや・・・と母は思ったことだろう。
ちょっと稽古をして両親を喜ばせようと言う健気さは無かった。
私はその頃は混声合唱団に所属していて、モールアルトレクイエムやベートーヴェン第九の練習に忙しかった。
母が産んだ娘たちは全員西洋音楽が好きで、コーラスが好きなのだった。
祖母よしのさんの法事を家でした時も、5人の娘たちが楽しくコーラスをした。
歌った曲は何だったか忘れたけれど。
「四つ葉のクローバー」「希望のささやき」???
母はいつも貰い物の海苔の缶とかサラダオイルとかお菓子を持たせてくれる。
「気いつけて帰りなはれや」と送り出してくれる。
私は自転車を漕いで夕暮れの道を帰った。