a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

安らぎのある生活(9)

粗大ゴミの日。

テレビの台と、たくさんの庭のゴミやら要らない物を捨てた。

新しく買うから古い物はゴミになるのであって、新しいのを買えなかったら、もしくは売ってなかったら捨てずにもっと大切に使うのに・・・と戦時中に育った人間は思ってしまう。

だからと言って捨てずに置いたらゴミ屋敷・・・(ー ー;)

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海外旅行のお土産をもらう。

ベネシアングラスのネックレス!

ベニスのサンマルコ広場は今水浸しの様だけど。

 

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安らぎのある生活(9)

今回の「平安」は不思議な平安である。

キリストが語られた示唆に富んだ「平安」でもある。

 

聖書 マタイ10:11−15

 

1、その平安はどのような平安なのか

それは、自分を拒否する相手のために祈った平安は、そっくり戻ってくる。

 

 その家に入るときには、平安を祈るあいさつをしなさい。12

 その家がふさわしい家なら、その平安はきっとその家に来るし、

 もしふさわしい家でないなら、

 その平安はあなたがたのところに返って来ます。13

 

2、(だから)先ずどんな人にも平安を祈るあいさつをしなさい

伝道する場合は、はじめから好意的な人か、拒否的な人かは分からないので、先ず

「あなたに平安があるように」との思いであいさつする。

これは誰にでもできる事である。

 あなたがたは、自分に関する限り、

 すべての人と平和を保ちなさい。 ローマ12:18

 

3、拒否的な人の場合は神にゆだねなさい

 ①問題は自分に否定的な態度の場合。

 もしだれも、あなたがたを受け入れず、

 あなたがたのことばに耳を傾けないなら、

 その家またはその町を出て行くときに、

 あなたがたの足のちりを払い落としなさい。14

「足のちりを払い落とす」という表現は、

「あなたのなすべき事は終わり、あとは神に委ねなさい」との意味である。

 

さばきの日にはソドムとゴモラの地でも、

 その町よりはまだ罪が軽いのです。15

「さばきの日」が言及されている理由は、拒否的な人に直ぐにさばきをつけたい思いが湧き上がってくるので、先走ったさばきをしてはいけない。

最終的なさばきは神がなさるのだから、神に委ねなさい。という事である。

 あなたがたは主が来られるまでは、

 何についても先走ったさばきをしてはいけません。

 主は闇の中に隠れた事も明るみに出し、

 心の中のはかりごともあきらかにされます。

 そのとき、

 神から各人に対する称賛が届くのです。  1コリント4:5