a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

父よ彼らをお赦しください

暖かくて春がもう本当に来たみたい。

庭の鉢植えの「金のなる木」の蕾が開いた。

f:id:a-doll:20190218105828j:plain

 

日曜礼拝メッセージより

父よ。彼らをお赦しください

 聖書 ルカ23:33-38

 

中西牧師は説教の初めに言われた。

人は生きて来たように死んでいく・・・多くの人の死に際に立ち会った経験からの実感である。

エス様の死に様は、全生涯がこの思いの中のような生き方を表すものであった。

 

キリストは十字架に両手を釘打たれたのち、十字架は立てられた。

その時発せられたのがこの言葉である。

この言葉が伝えることは。

 

1、キリストの完全な愛

心底許された神の愛。

敵をも許すとりなしの祈りに神の愛がある。

 

2、キリストの完全な赦し

原語のアフィエミ=赦しは帳消しにする(無かったことにする)という意味である。

人間には赦せない現実がある。

恥ずかしいと思える記憶もある。

キリストは「命の書」の記録からも全て消し去ってくださる。

一切罪なし!

 

 わたし、このわたしは、わたし自身のために

 あなたのそむきの罪をぬぐい去り、

 もうあなたの罪を思い出さない。イザヤ43:25

 

3、キリストの完全な救い

 父よ。彼らをお赦しください。

 彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。ルカ23:34

彼らとは誰か?

知らないと見捨てて逃げた弟子たちか、良心を売って判決を下したピラトか、釘を打った兵士だろうか。

2000年前のこの場にいた人々だけだろうか?

 

バッハのマタイ受難曲は、キリストの受難を歌い上げているが、その中に「誰が十字架につけたか?」と問いかけ「私がつけた」と答えるところがある。

バッハは自分の信仰告白をしたのである。

時間を超えて、それはあなたであり、私でもあるのだ。