金剛バプテストキリスト教会婦人聖書の集いより
明治時代に出版された文語訳聖書や昭和の時代の口語訳聖書では「わに」と訳されているが、カトリックとプロテスタントの共同訳聖書や新改訳聖書では原語の「レビヤタン」と書かれた動物が出てくる。
今日はそのレビヤタンについて学ぶ。
聖書ヨブ記 41:1-10
1、レビヤタンの意味するもの
新改訳聖書でもヨブ41:1の脚注には「わに」と説明があるが、詩篇104:25、26では「海で戯れる」と説明がある。
そこには 大きくて広い海があり
這うものや生き物は数えきれません。25
そこを船が行き交い
あなたが造られたレビヤタンも そこで戯れます。26
わにが海に住むだろうか?
またヨブ41:13-34にはその動物の描写が空恐ろしい生き物であると描かれている。
少し長いけど表現が面白いから書いておこう(医院の待ち時間に退屈だからスマホでコピペした)。
だれがその外套をはぎ取ることができるか。
だれがその胸当ての折り目の間に、入れるか。
だれがその顔の戸をあけることができるか。その歯の回りは恐ろしい。
その背は並んだ盾、封印したように堅く閉じている。
一つ一つぴったりついて、風もその間を通らない。
互いにくっつき合い、堅くついて離せない。
そのくしゃみはいなずまを放ち、その目は暁のまぶたのようだ。
その口からは、たいまつが燃え出し、火花を散らす。
その鼻からは煙が出て、煮え立つかまや、燃える葦のようだ。
その息は炭火をおこし、その口から炎が出る。
その首には力が宿り、その前には恐れが踊る。
その肉のひだはくっつき合い、その身にしっかりついて、動かない。
その心臓は石のように堅く、臼の下石のように堅い。
それが起き上がると、力ある者もおじけづき、ぎょっとしてとまどう。
それを剣で襲っても、ききめがなく、槍も投げ槍も矢じりもききめがない。
それは鉄をわらのように、青銅を腐った木のようにみなす。
矢もそれを逃げさせることができず、石投げの石も、それにはわらのようになる。
こん棒をもわらのようにみなし、投げ槍のうなる音をあざ笑う。
その下腹は鋭い土器のかけら、それは打穀機のように泥の上に身を伸ばす。
それは深みをかまのように沸き立たせ、海を香油をかき混ぜるなべのようにする。
その通ったあとは輝き、深い淵は白髪のように思われる。
地の上には、これと似たものはなく、恐れを知らないものとして造られた。
それは、すべて高いものを見おろし、それは、すべての誇り高い獣の王である。
ヨブ記 41章13~34節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会
つまりレビヤタンは人間には通用しない無力を示す動物と言える。
その上にあなたの手を置いてみよ。
その戦いを思い出して、二度と手を出すな。ヨブ41:8
2、人間は無力である
①知識に関する無力
・自分は知っているという自惚れ
自分は何かを知っていると思う人がいたら、
その人は、知るべき程のことをまだ知らないのです。 第一コリント8-2
・人生の不可解に対する無力
あなたは言われます。
「知識もなしに摂理をおおい隠す者はだれか」と。
確かに私は、
自分の理解できないことを告げてしまいました。
自分では知り得ない、あまりにも不思議なことを。 ヨブ42:3
②自分の意のままにできない無力
・自分と他人の心を動かせない無力
私には自分のしていることが分かりません。
自分がしたいと願うことはせずに、
むしろ自分が憎んでいることを行っているからです。 ローマ7:15
私は、したいと願う善を行わないで、
したくないことを行っています。ローマ7:19
・人生の流れを変えられない無力
「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、
あなたがたの道は、わたしの道と異なるからだ。
ーー主のことばーー イザヤ55:8
天が地よりも高いように、
わたしの道は、あなたがたの道より高く、
わたしの思いは、あなたがたの思いより高い。55:9
③病と死に対する無力
いかなる人間も病と死を免れない。
そして無力である。
しかしキリストは人間の無力を打ち破り、死に打ち勝つ勝利を与えてくださった。
「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。
死よ、おまえのとげはどこにあるのか。 第一コリント15:55
死のとげは罪であり、罪の力は律法です。56
しかし、神に感謝します。
神は、私たちの主イエス・キリストによって、
私たちに勝利を与えてくださいました。57