a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

無花果とナタナエル

今朝もどんより曇っていて私はねむたい。

選挙に行ってから教会へ。

礼拝後、ランチを取りながら友人と楽しいおしゃべりをする。

曇り空の下「涼しくて助かるわ~」と言いながら帰宅。

おやつを食べてから昼寝2時間も!

 

 

今日の礼拝メッセージはヨハネ1:43-51 私の好きな「ナタナエル」のところ。

ずっと以前の礼拝で「ナタナエル」のことを聞いて、私は早速イチジクの苗木を求めて裏庭に植えた。

それがもう大きく育って食卓の横の窓から見えるぐらいに育って沢山の小さな青い実をつけている。

f:id:a-doll:20190629155008j:plain

 

「ナタナエル」は他の福音書ではバルトロマイと呼ばれている。

バルトロマイは親がつけた名前で、バル=息子 トロ=父 父の息子という名だ。

古代では障害があったりする子供には名前をつけなかった。

 

「ナタナエル」という名はイエスが付けたと思われる。

これは「神の賜物」という意味がある。

親や世間からそのような扱いを受けても、神は彼に価値を与えて用いられた。

ナタナエルはイエスに言った。

 「どうして私をご存知なのですか。」

 イエスは答えられた。

 ピリポがあなたを呼ぶ前に、

 あなたがいちじくの木の下にいるのを見ました。」1:48

神は人に会う前からその人の過去も未来も知っておられる。

 

いちじくの木は大きな葉を広げて横に広がって茂る。

木の下影は祈るのに適していた。

ナタナエルはいちじくの下ではいじけたりしないで、いつも祈りの人生を送っていたのをイエスはご存知だったのである。

隠れた善行は神は知っておられる。

 

いちじくは無花果と書く。

実はなっても花は咲かない。

しかし花は咲いているのである。実の中に隠れて小さな花がぎっしり咲いている。

ナタナエルと同じなのである。

 

そうしてナタナエルはイエスの12弟子の一人になった。

f:id:a-doll:20190721223639j:plain