a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

三浦綾子の本

三浦綾子の小説を3冊読んだ。
「水なき雲」「ひつじが丘」「泥流地帯」
「氷点」の作者だけあって、どれもぐいぐい物語の世界に引き込まれて読んでしまった。
特に泥流地帯は読み応えがあった。
最初は、子どもの読み物かと思うほど、幼い小学生の主人公の描写が、長々と続く。
一家は福島県から開拓農民として上富良野に移住して来た。
父が事故で死に、母は札幌へ髪結いの勉強に出かけたままで、その上結核を患っているので、子ども達は祖父母が面倒を見ている。
恐ろしい貧しさである。
主人公の耕作が、成長して、小学校の代用教員として、ようやく幾ばくかの給料を取るようになり、生活は少し楽になった。
その矢先の1926年、十勝岳が大爆発をして、恐ろしい山津波が村を襲う。
一瞬のうちに、嫁に行った姉夫婦、妹、祖父母が、家や畠が、泥流に飲み込まれて流されてしまう。
この描写が凄い。昨年3月の東北の津波の映像が、まだ焼き付いているから、息を飲んで読み上げた。
三浦綾子の小説の特徴は、悪い人はあくまでも悪く描写され、良い人、美しい人は指先まで美しく描写される。
この小説の悪役の一人シンという姉の嫁ぎ先の姑は、葬式の時に意地悪く云う。
「なあ、わしらはよっぽど心がけが良いんだね。畠も家も無事だったもんね。太陽がちゃんと見てござるもんね」と遠慮なく言い切るのである。
因果応報の考えである。
あとがきに、この小説集を編んだご主人の三浦光世氏は書かれている。
人生における苦難を、どう受け止めるかというテーマを、理屈っぽくならず盛り込んでくれたと思う。
ヨハネ9章1〜3節にイエスが弟子たちに云われたことば。
「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のみわざが、この人の上に現れるためです。」
小説は、兄と2人生き残った耕作が、結核がようやく癒えた母が、札幌からもうすぐ帰ってくるのを待つというところで終っている。