a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

61年前の写真

61回目の終戦記念日。朝からニュースは総理大臣靖国参拝でやかましい。庭の蝉と同じ様に暑苦しくやかましい。
もっと静かに追悼出来ないのか。
61年前のあの日、我が家では神妙に、家族揃って天皇陛下のお言葉をラジオで聞いた。
世間では、戦死したり焼けだされたりした人が大勢居るのに、幸い我が家では皆元気で生き延びた喜びが有ったと思う。
もうラジオから流れる空襲の情報や、不気味なサイレンを聞かなくても済む。空襲警報を聞くと庭に掘られた防空壕に入ったり、灯火管制で、電灯を暗くして過ごす鬱陶しさから解放される喜びが有った。外出時は暑くてももんぺをはいて、綿入れの防空頭巾を肩から下げていなくてはならなかったのだ。
電力不足や食糧難は、それからもしばらく続いたのだが、兎に角安堵したのだ。
大学生の兄はもう少しで戦争に取られる所だった。

この写真は何月頃に撮ったか覚えていないが、ある夜灯火管制で暗くした室内で、兄が戦争に取られてしまうかも知れないから最後に、と撮った家族写真。
全員正装でちょっと緊張している。写真やさんが出張して来て、マグネシュウムを派手にボン!と焚いたからちょっとびっくりした。
わたしは、家族がおしゃれをして何か華やいだ気持ちがしたのを覚えている。大人は悲壮な気持ちだったろうけど。
一番上の姉は正式なサザエさんヘアスタイル。眼鏡は美貌を損なうって悩んでいたけど、この頃はコンタクトレンズは無かったからね。
2番目の姉が着ているのは、戦時中の女学生の制服。ヘチマカラーでもっさりしていると文句を足れていた姉。セーラー服は着るのを禁止されていたからどこの女学校も同じ制服だ。
赤いビロードの服を着てお行儀よく座っている妹の白いストッキングは、よく見ると継ぎが当たっている。新しい衣類は手に入らない時代だった。
紋付の羽織を着た母の厳しい顔。
今、祖母と両親は亡くなったが、兄姉妹6人全員健在なのを感謝しなくてはならない。