a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

玉音放送

終戦記念日に、テレビの特集で『玉音放送』を聞いた日の事を、知名人が思い出とともに話している番組を観た。
玉音放送は、ラヂオ自体悪いし電波の状態も悪くてはっきり聞こえなかった為に、戦争終結の言葉として受け取れなかった人も大勢居たようである。
実際今聞いても良く理解出来ない難解な言葉の羅列である。
もっと平易に「日本の皆さん。日本は無条件降伏をしました。」と言ってくれたらすぐに誰でも解っただろうに。「堪え難きを耐え、忍び難きを忍び・・・」などと、「もっと頑張ろう」と誤解する様な言葉なのだから、無理も無い。
小学校(国民学校と言った)3年生の私が家に帰ると、ラヂオの置いてある茶の間と出入り口に、家族や大勢の人が立ってラヂオを聞いている最中だった。
役所から「正午にラヂオを聞くように」とお知らせが有ったのだろう。
長い放送を全員が直立不動の姿勢で聞いていたのだ。
放送が終わると、父が「戦争が終わった。日本は負けたんや」と言った。
私は「ふーん」と思っただけで具体的にどうなるのか、とか考える能力はまだ無かった。
登校すると、担任の平田先生が「日本人の努力が足りなかったから負けたのです。くやしいね。」とハンカチを目に当てて泣いておられた。
戦争が終結したからすぐに万々歳の生活が戻ったわけでは無く、食糧難は増々ひどくなったのだが、灯火管制(灯りが漏れないように電灯に黒い布をかぶせてあった)や、警戒警報が鳴ると、寝ていても起きてもんぺを穿き、暑いのに綿入れの防空頭巾を被って、ちゃちな防空壕に潜り込む必要も無くなったので、嬉しかったのを覚えている。
一番嬉しかったのは、兄を軍隊に採られる寸前に終結して、ほっとした両親だったのでは無いだろうか。