a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

クリスマスの意味

金剛バプテストキリスト教会は人数が多いので2部に分かれて礼拝がある。
私は寝坊の娘に合わせて遅い時間の礼拝に出る習慣が出来てしまっている。11時前、小雪のちらつく中を教会に向う途中で、早い礼拝に出た後、サロンでコーヒータイムを過ごして来た同じ町内に住んでいるNさん夫妻といつもすれ違う。奥さまは上品で丁寧な物腰。ご主人はざっくばらんで「雪降って来ましたで〜気いつけて行きなはれや」。
このご主人は亡くなった夫の高校のずっと若い後輩なのである。

今日クリスマス礼拝のメッセージは、ルカ2章8〜14節 「平和の祈り」。

アメリカ合衆国大統領オバマ氏の平和を願う核兵器廃絶の演説に対して、今年のノーベル平和賞が贈られた。
世界の人々は常に平和を望んでいる筈なのに、現実は争いが絶えず平和は来ない。
14節「いと高き所に、栄光が神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」
人々が戦争を止められないのは、自分が一番で神を無視しているからである。
11節「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」
きのうでなく明日でもなく、きょうイエス様は私達の罪を救う為に生まれたのだ。
ゴルゴダの丘で十字架の上で云われた「父よ彼らを許したまえ」。過去の恨みを引きずる事なく許し合わなければ平和は来ないのである。
牧師先生の体験談は印象深かった。フィリッピンの年老いた牧師が、昔日本兵に目の前で父親を殺害されて以来、ずっと日本人を恨んでいた。
日本人の牧師に会うのを拒否したかったが、キリストの十字架の言葉に出会い、過去の恨みを許して会う事に決めたと言うのだ。
今は使われていない古い10ペソの紙幣を見せて下さった。その紙幣は日本政府が発行した紙幣である。先生は彼に貰ったその紙幣を記念に大切にされている。

今夜もNHKの『坂の上の雲』を観た。従軍記者として正岡子規が見たのも、戦争に巻き込まれる市民の悲惨な姿だった。
クリスマスこそ平和を祈る時だと思う。