a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

大晦日に思うこと

今年もとうとう大晦日。

今年は73年の生涯の中でもトップに位置する程の激動の年だった。
2月までは今ここで触れたくない辛い日々を過ごした。
3月になって、夫と二人で急遽病床で洗礼を受けた。耳が聞こえて意思表示が出来る間にと牧師先生が計らって下さった。3月12日だった。
夫はその9日後の3月21日に天国に召された。
娘と私が同時に感じたのは、悲しみではなくて、夫を天国に送ったことによる安堵感だった。悲しみの時はもう通り過ぎていたのだ。
中西牧師先生夫妻を始め、金剛バプテストキリスト教会の人々と、親族に助けられて無事に告別式が終えられて感謝だった。

夢中で駆け抜けた夫の死の後始末。世間の例に漏れず我が家の小さな事業の厳しいやりくり。
そんな中で少しずつ成長していった私の信仰生活によって、希望の有る平安な日々が与えられたのである。
それは教会でメッセージを聞く事、日々聖書を読む事、祈る事を日課としてからだ。
そして教会で賛美すること(ゴスペルフラを踊ることも入っている)も楽しいことのひとつである。

最後の日曜日には「新しい年の祝福に生きるために」と題してメッセージを頂いた。
1、不幸を責任転嫁することをやめなさい。
2、人間関係を潔くしなさい。人に対して苦々しい思い、また憤りの言葉を正しなさい。
3、神が祝福の未来を用意して下さっている事を信じなさい。
(エゼキエル書18章1〜4節)
中でも2番はうっかりすると陥りやすい。心しなくてはならない。

仔ネコが我が家に来た事も、夫の居ない淋しさを和らげてくれた。
振り回されているうちに一日が終わってしまうのである。
毎夜、隣のベッドの夫のいびきを聞く事が無くなった代わりに、枕元で柔らかな毛皮の持ち主が静かに丸まって眠っていてくれる。

来年は少し肩の力を抜いて、ゆったり過ごす事にしよう。