a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

詩篇68篇19節

 ほむべきかな。日々、私たちのために、
 重荷をになわれる主。
 私たちの救いであられる神。
1、神はことを隠すことによって重荷をになって下さっている。全能の神はすべてをご存知であるから、もし、全てを見せられたら大変である。ごく一部しか知らないので生きて行ける。箴言25:2
2、イエスキリストによって重荷を半分にして下さっている。
マタイ11:28〜30
28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。 わたしがあなたがたを休ませて上げます。
この箇所は、 画家の星野富弘さんが、クリスチャンになられるきっかけとなった有名なみ言葉である。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしにくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます
くびきとは、2頭の牛の首に一本の棒を括り付ける道具だが、それによって荷の重さが半減されると云う。
ここでは、牛ではなく親ロバと子ロバなのだが、子ロバである我々の重荷が軽くなり嬉しいことなのである。
誰でも責任はおい続けながら、この特権によって、心配せず、信頼して生きれば良いのである。
第一ペテロ5:7
 あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。
 神があなたがたのことを心配して下さるからです。