a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

「ソドムとロト」

創世記19:1〜14
1、ソドムの悪と裁きの実態
2人の御使いがロト(アブラハムの甥)のもとにやって来た。
ロトは彼らを家にいれ歓待した。
ところが、ソドムの町の人々が例外無く集まって来て、ロトに向かって叫んだ。
「おまえの所に来た男達を連れ出せ。彼らをよく知りたいのだ。」5節
知りたいとは、性的な意味で、男色のことである。
ソドムの町は野獣化していた。
この後、ソドムに神の審判が下る。火山の爆発によって死海の底に沈むのである。これが神の裁きである。
神の愛は、贖罪、即ち罪人を買い戻す(救う)ことであった。
神の御子は私たちの罪を救うために黙って死なれた。
罪深い私たちを救って下さる恵みを知ることが大切である。
2、ロトのこと
ロトは戸口に来たソドムの人々に、客の変わりに2人の娘を差し出そうとした、とんでもない男であった。8節
家族を犠牲にして客を持て成す、外面が良く内面が悪い男であった。
家族にひどい行いをする身勝手な男であった。
しかも町の人々の評価は。9節
「よそ者のくせにさばきつかさのようだ。」裁きの目線、高慢な姿で人々に接している愛のない男である。
どこか私たちの姿に似ていないか。
それに引き換え、アブラハムは信頼されている姿が書かれている。神のつかさであるとヘテ人に云われている。23:6
私たちは神のつかさか、さばきつかさか。 
 愛は寛容であり、愛は親切である。
 また人をねたみません。
 愛は自慢せず、高慢になりません。第一コリント13:4
ソドムの悲劇はロトの悲劇でもある。