a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

「無力時代の福音」

日曜礼拝のメッセージから。
第二コリント12:6〜10より
明日は終戦記念日であるが、あの時日本は全てを失った。
その後、必死に頑張って復興しバブル期を迎えた。
そのバブルが弾け、日本経済が下降の一途をたどった上、2度も未曾有の地震を経験した。
一瞬にして築き上げて来た全てを失ってしまうのが、日本の現状である。今まで頑張って来た力が本当に必要なものなのかが、問われるときである。
失った後残るものは何か。
ここではパウロが、弱いときこそ強いと述べている。
弱さの中の力とは。
1、自分を卑下しない。7節
パウロは肉体に棘を与えられていた。それをサタンの使いだと否定的に見ている。
受けた災いを自分の否定的な経験を原因とする、性格とか能力のなさとかを思ってしまう。
「どうせ」という言葉。「♪船頭小唄」の歌詞に有る様な。
2、弱さは神の恵みの材料となる。9節
ヨハネ9:1〜3には生まれつきの盲人に対して、イエスは因果応報の考えを否定し、神の業がこの人に現れるためです。と書かれている。
レーナマリアさんは両手が無く産まれた。全てを足でこなし、素晴らしい歌の才能を与えられている。
彼女は自分のハンディキャップを好きだといって、体の健康より、魂の豊かさを誇る。
五体満足な私たちが何故不服を云うのか。
3、パウロは肉体の棘がとれぬまま、新しい神の力を与えられて弱さを持ったまま生きる。10節
 ですから、私は、キリストのために、
 弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。
 なぜなら、私が弱い時にこそ、私は強いからです。
詩人で画家の星野富広さんは、事故で体の機能を失って9年間の闘病ののち、神に出会い、口にくわえた絵筆で絵を描くことを見いだした。

日本の現実に目を向けるとき、神は新しい力を与えようとなさっているように思える。