a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

「海霧」

劇団民藝の大阪公演「海霧」を観た。
明治8年春、霧が立ちこめた釧路港に始まり、昭和4年春、やはり霧に煙る釧路港で終る。
原田康子の曾祖父母の時代から、最後の場面ではおんぶされて登場するご自分の長い歴史が語られた、大河小説を舞台化されたもので、長い小説を、2時間余りの舞台で語るのは大変な作業である。
成功するもしないも、脚本家(小池倫代)の力による。
登場人物も物語の多くも削ぎとって、話の本筋を見失わないようにするのは大変な作業だろうと思う。
映画と違って、雄大な北海道の風景をあしらうわけにも行かず、海霧は薄墨色の布を垂らし、ドライアイスの煙で見立てていた。
あの長い小説を、どんな風に舞台化されるのかも期待して出かけたが、俳優の力量と演出(丹野郁弓)も良く、充分見応えが有った。
佐賀藩出身の幸吉(伊藤孝夫)と、庄内出身のさよ(樫山文枝)夫婦が釧路という新天地で、店を開く。
小説の冒頭、夫婦が出会って一緒になり、釧路に渡って、極寒の中、生活して行く所、また小女を雇う所などが好きなのだが、ここはばっさり割愛されていたがやむを得ない。
ようやく生まれた2人の娘リツとルイ。長女リツは男勝りで男のように育ち、婿に入った修二郎とは冷えきった中で、その中ようやく娘千鶴が生まれる。
次々と押し寄せる荒波の中、さよは、全てを胸に納めて家を守り抜くのだった。
樫山文枝は、24才から77才までの女の一生を演じた。
彼女特有の声を飲み込む様な台詞回しは、耳が多少衰えた私には聞き取り難い箇所もあったが、期待通りのさよのイメージをとらえていて満足。
彼女も「おはなはん」の頃から思えば年齢が加わった。可憐さは変わりないが、後半のさよが一番ぴったりはまっているのは当然のことである。
何はともあれ、拍手を送りたい。満足して帰った夜だった。