a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

「最後が肝心」

日曜礼拝メッセージより。
創世記33:17〜34:2
明治の文豪にはキリスト教の影響を受けた人が多い。
島崎藤村国木田独歩北村透谷正宗白鳥、等々は洗礼を受けたが、晩年まで信仰を持続出来なかった。
最後まで、神を信じることが肝心である。
ヤコブも最後の詰めで失敗をした。
人間がいかに愚かであるかわかる。
*ヤコブは何をしたか。
ようやく兄と和解出来てほっとして旅を続け、スコテという場所で土地を買ってマイホームを建ててしまった。
20年前、逃げる旅の始めに、神が与えてやろうと云われた土地、ベテル(18:13〜19)まで戻らず50km手前で生活の拠点を置いたのである。
神の言葉を忘れてしまった。
*どんなことが起こったか。34:1〜2
その土地で娘ディナがその土地の族長の息子シェケムにレイプされた。
このことでヤコブの息子達はその町で殺人略奪する結果となった。
ここから云えることは、
1、過去の祝福は明日間違いがない保証にはならない。
主の祈りの中に「我らの日用の糧を、今日も与えたまえ」とある。
今日の分だけを与えられるのである。
毎日聖書を読む意味がここにある。
2、居るべき場所から離れてはいけない。
ディナは余りにも無防備であった。居るべき心の場所があるのを忘れてはならない。
3、神は回復の場所を与えて下さる。
神はヤコブに仰せられた。「立ってベテルに上り、そこに住みなさい。そこに兄エサウから逃れて居たとき、現れた神のために祭壇を築きなさい。」35:1
ベテルとはヘブル語で「神の家」という意味である。