a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

「愛が無駄に見える時」

ヨハネ12:1〜8
イエスが過ぎ越しの祭りの6日前に、ベタニヤに来られた時、人々は晩餐の用意をした。
給仕をして居たラザロの妹マリアが、高価な純粋のナルドの香油を取って、イエスの足に塗り、彼女の髪の毛で足を拭った。家は香油のかおりで満ちた。
愛の行為には奉仕、社会のボランティア、親切、親の介護等々いろいろ有る。
この場面のマリアの愛の行為は、
1、誰が評価するか。神ご自身が評価をされる。
弟子のユダが高価な香油を300デナリで売って施しに使った方が良いと詰った。
しかしイエスは感謝の表し方の愛の行為と認められた。
 何をするにも、人にたいしてではなく、主に対してするように、心からしなさい。コロサイ3:23
2、動機は何か。イエスの葬りのためにナルドの香油を取っておいた。
マリアの原動力は、イエスさまが十字架に架かられることへの感謝の気持ちである。
3、マリアの洞察はどこから出て来たか。
12人の弟子さえ誰も十字架のことを全く解っていなかった。
しかし、マリアはイエスがエルサレムへ行かれる目的を解っていた。それは常に神の膝元でみ言葉に聴きいって居たからであり、イエスの表情やことばで、最後のときが何のためにあるのか悟った。
聖書に聞くことが大切である。