a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

「どうして私を御存知なのですか」

日曜礼拝メッセージより
ヨハネ1:43〜51
ここは12人の弟子の中の1人、ナタナエル(別名バルトロマイ)について書かれている。
1、弟子の中でも地味なナタナエルを取り上げた理由
他には見られなくて、唯一ここで書かれている。それほど地味な存在のナタナエル。
しかし、神は一人一人を見て下さる。目立たなくても神の目には尊い存在なのである。
2、ピリポが連れて来た。43節
ピリポはナタナエルを見つけて誘ったのである。
私たちの金剛教会では誰かが誰かを誘って連れて来る、ということで教会員が増えて来た。
素晴らしい福音を多くの人に知って欲しいからである。
3、ナタナエルはキリストに出会う前から知られていた。
 ナタナエルはイエスに言った。
 「どうして私をご存知なのですか。」
 イエスは言われた。
 「わたしは、ピリポがあなたを呼ぶ前に、 
 あなたがいちじくの木の下にいるのを見たのです。48節
いちじくの木は余り高くならないで横に伸びる。葉は大きくて日よけとなる。祈りの場として良いのである。
イエスが見て下さったのを知ってナタナエルは嬉しかった。
ナタナエルという人は地味で内なる人である。
いちじくは無花果と書くように花が咲いて実がなるのではなく、割ってみると中に花が咲いている。
目立たなくても誰に知られなくても神がご存知で評価して下さる。