a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

婦人聖書の集いより

「身に余る恵み」
ゼカリヤ書3:1〜10
ゼカリヤはバビロン捕囚の最後の頃の預言者。
主の恵みは。
1、罪のとがめ無しの恵み。
神の法廷でサタンが大祭司ヨシュアを告訴している。1節
しかし主はサタンを咎める。2節
ヨシュアは汚れた服を着てみ使いの前に立っていた。3節 大祭司としての定められた礼服を着ていない罪である。
私たちは、何度罪を犯すかも知れないが、素晴らしいお方が身代わりになって下さる。
神は、罪を知らないキリストを、私たちの代わりに罪とされたのである。2コリント5:21
裁きに会うことなく、裁きから解放されている。ヨハネ5:24
身に余る恵みである。
2、回復の恵み。
使命を回復する。再出発出来る。
大祭司として恥ずかしい汚れた服を着てうなだれるヨシュア。罪故に汚れている。3節
そのヨシュアにもう一度新しい礼服を着せる。
回復し、今一度その立場、奉仕、使命を与えられる。4節
主を信じるものは、古いもの(罪、恥、失敗など)を再び新しくスタート出来る。2コリント5:17
3、長い悲しみも一日で変える。
ついにバビロン捕囚の終わりの日が来た。
ずっと耐えて来た70年の生活が、たった一日で変えられた。
バビロンは、台頭して来たペルシャに一日で覆されたのである。
ペルシャの王クロスは、エルサレムに帰れ、そして神殿を建てよ、と資金の提供までしてくれた。
これは歴史の事実である。
その日には、あなたがたは互いに自分の友を、葡萄の木と無花果の木の下に招き合うであろう。10節
ぶどうといちじくは平和と豊かさの象徴である。1列王4:25
一瞬に神は恵みを見せて下さる。
全能の神は居られる。イザヤ43:19




午後、今年最後の賛美フラのレッスンをした。
M子先生のご奉仕に感謝する。



娘が北海道で出会ったクリスチャンの友達Yさんが来られた。
子供さんが3人居られて、北見で大学の先生をなさっている。
不思議な出会いである。出身が我が家と同じ町内で、幼い頃近くの教会の日曜学校に通っておられたそうである。
我が家でしばらくおしゃべりをして、すぐ近くのご実家に帰って行かれた。

Mさんは無類の猫好き。いつも猫の模様の服を着ている。
今日のは特別可愛い。頭には魚のリボンが・・。