婦人聖書の集いより
聖書 マタイ25:14−30
「ある人が3人の僕(しもべ)に能力に応じて、5タラント、2タラント、1タラント預けて旅に出た。
5タラント預かった者は、商売をして5タラントもうけた。
2タラント預かった者も、2タラントもうけた。
ところで1タラント預かった者は、地を掘って金を隠した。
さて、よほどたってから主人が帰ってきて僕たちと精算をした時、5タラントをもうけてそれを差し出した者も、2タラントもうけた者も、主人は同じように褒めた。
ところが、1タラント預かって地に隠していた者には「外の暗やみに追い出しなさい」と主人は言った。」
この譬え話を、ある説教者が、与えられた賜物を地に隠したような不忠実なクリスチャンになっては天国に入れない可能性もある。と説教した。
この解釈は正しいのか。
1、上記説教者の誤解で間違い。説教者でも誤解することがある。
①救いの誤解
1タラントを地に隠していた僕を「クリスチャンでも天国に入れない可能性もある」というのは間違いである。
これは聖書の教えから矛盾している。
なぜなら救いはキリストへの信仰のみだから。
人が義と認められるのは、律法の行いによるのではなく、
信仰によるというのが、私たちの考えです。ローマ3:28
②「タラント」という用語の誤解
「タラント」=言語では「タラントン」で、これは才能の意味。
クリスチャン、ノンクリスチャンを問わず全ての人に与えられているもの。(芸能人をタレントと呼ぶのはそのため)
それに対し「賜物」は言語では「カリスマ」でクリスチャンのみに与えられているもの。
聖霊の賜物とタラントは違う。
賜物にはいろいろの種類がありますが、御霊は同じ御霊です。1コリント12:4
ある人には御霊によって与えられる知恵のことば(応用できることば)
他の人には御霊によって知識のことば(覚える力)が与えられる。8
2、本来の意味
①この譬え話は「タラント」ということばが使われていることからもわかるようにクリスチャンにも、ノンクリスチャンにも語られた話である。
②1タラント与えられた僕が「そとの暗やみに追い出された」理由はタラントを用いなかった以上に、主人観にあった。
「主人(神)をひどい方」24 とみなしている。
この僕は神に対する信仰も感謝もないノンクリスチャンである。
③5タラント与えられた僕や2タラント与えられた僕のように良い主人観をもって働くことが大切である。
喜びをもって主に仕えよ。
喜び歌いつつ御前に来れ。詩篇100:2