婦人聖書の集いより
聖書ルカ16:1-12
1、なぜ主人は不正の管理人のしたことを褒めたのか?
この世の子らは、自分たちの世のことについては、
光の子らより抜け目がないのものなので、
主人は、不正な管理人がこうもぬけめなくやったのを褒めた。 8
「ほめる」は賞賛では無いだろう。
抜け目なさに呆れた関心であっただろう。
例えて言えば、刑事がずる賢い犯罪者の手口に感心するのと同じ。
2、不正の富で作った友が永遠の住まいに入れてくれるだろうか?
不正の富で、自分のために友をつくりなさい。
そうしておけば、富がなくなったとき、
彼らはあなたがたを、永遠の住まいに迎えるのです。 9
・「不正の富」=この世の富のこと→とかくお金が不正に走りやすいこの世の富。
・はたして友達が永遠の住まいに入れてくれるのか?9
これは文字通りに解すると聖書の真理に反する。
なぜなら人間には永遠の住まい(天国)に迎え入れる資格も権威もないから。
※この意味は「皮肉的用法」=「せいぜい不正を働くが良い。そうすればあなたがお金で作った友達が永遠の住まいさえ用意して迎えてくれるだろうよ・・・」
そんなことはないという裏返し的用法。
3、中心メッセージ
「小さい事に忠実な人は大きい事にも虫実である」10
この意味は、現実の小事に忠実かどうかが、次の人生のステージの大事が任されるかどうかが決まるという意味である。
4、忠実はどこから来るか
忠実さに欠けると嘆き人に→感謝すべき事に「忠実」(誠実)は御霊の実の一つである。
御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、ガラテヤ5:22
つまりキリストに結びつく事による神のもたらす「実」である。