a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

キリストの譬え話  「実を結ばない無花果」

婦人聖書の集いより

ある人に悪いことが重なって、原因を知ろうとある霊能者を訪ねると「先祖の供養を粗末にしているからの災いだ。お祓いする必要があるから◯◯万円持ってきなさい」と言われた。
日本には、このような禍を何かの祟りではないか。あるいはクリスチャンでも罪深いからこんなことが起こるのではと悩む方もおられる。
今日の譬え話を正しく理解したい。

聖書 ルカ13:1〜9




1、災いを祟りと考える人々
人為的災い(1節)や自然的災い(4)に関する質問
神を礼拝する神殿で、ピラトがガリラヤ人たちを殺し、その血を祭壇に注ぐという悪行を行った。
その犠牲者は罪深いか?
同様にシロアムの塔が倒れた際の犠牲者は災いを免れた人より罪深いか?
例:横田めぐみさんが拉致された時、母早紀江さんに宗教の勧誘があって「先祖の因果応報」と責められて涙したと証の中でおっしゃっている。

2、主イエスの答え
・災いが人為的なものでも、自然災害によってでも、その犠牲者は何かの祟りであるとか、罪が深いという思想を完全に否定された。
むしろ全ての人は神に対する罪の悔い改めの必要があることを教えられた。(3、5)
・神は悔い改める機会さえ待ち続けてくださる。(6−9)
悔い改め=行いではなく思いを変えること。
 それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。マタイ3:8

3、福音による恵みの理解
・主イエスが十字架で人類の罪と呪いの一切を引き受けてくださった故に私たちは人生の呪いから解放されている。
  ガラテヤ3:13
・災いや障害も神の恵みの体験へと導かれる
 ヨハネ9:1−3
「神の業が現れるため」=神を信じて生きることの素晴らしさがその人に現れる、との意味。

 わたしはこのむなしい人生において、すべての事を見てきた。
 正しい人が正しいのに滅び、悪者が悪いのに長生きすることがある。 伝道者7−15
災いのときに生き残ったものは、沈黙して亡くなった人の分まで生きる使命がある。
最大の呪いを受けたのはイエスキリスト。