a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

山上の垂訓(14)ー「狭い門」

アンドレ・ジイドの『狭き門』、また倍率の高い試験の「狭い門」。

いずれも聖書の言葉からの引用だが誤用されてしまっている。

本来の意味は何か。

 狭い門から入りなさい。

 滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。

 そして、そこから入っていく者が多いのです。

 いのちに至る門は小さく、その道は狭く、その道を見出す者はまれです。

 マタイ7:13、14

 

1、「狭い門から入れ」の意味

神の真理を求める人生の門を意味している。

 

2、なぜ「狭い門」を「見出す者はまれ」なのか

・「広い門」の方が入り易い。

日本に多く存在する御利益宗教は、商売繁盛、無病息災、家内安全・・・をお題目に人をひきつける。

それが叶うかどうかは別にして、人々の実利に結びついているから、この広い門から入ろうとし、「狭い門」を見出す事が少ないからである。

 

・「狭い門」は入るのに「身をかがめる」必要がある。

御利益宗教は、ただ手を合わせて願うだけだが「神の真理を求める人生の門」は、神の前に罪を認め、更に人間の理解を超えた復活信仰を受け入れることの必要がある。

そのために「狭い門」なのである。

 

・御利益と聖書が語る恵の違い。

恵=平安、喜び、愛、感謝な心で生きる力、死に打ち勝ついのち・・・

どちらが本物の御利益だろう。

 

3、「広い門」と「狭い門」の差

どちらの門に入るかは後の人生に大きな差を生じる。

門を通った後のゴールが全く違うからである。

「広い門」→滅びに至る。

「狭い門」→(永遠の)いのちに至る。

 

 わたしは門です。

 だれでもわたしを通って入るなら、救われます。

 また安らかに出入りし、牧草を見つけます。  ヨハネ10:9

 

よくぞ見つけ難い「狭い門」から入ってこられたものだ。

最後まで歩み続けよう‼︎