a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

母の思い出

青葉若葉の気持ちの良い道を教会まで歩く。

今日は礼拝で「母の日」の祝祷があった。

それぞれが黙祷で母への感謝を1分間する。

 

私の母はもう30年前に亡くなったが、日々の暮らしの中で母の影響は大きく残っている。

母が36歳のときに5番目の子供として生まれてきた。

生前、母に聞いたことがある。

6人も子供がいたら愛情は6等分されるの?と。

母の返事は「5本の指が1本欠けても不自由なように、どの子も同じように可愛いよ」。

子供達はやっぱり愛情を少しでも余分に欲しいから、競争して良い子ちゃんでいたのではないかな?

母の策略かも。

 

大勢の子供を産み育ててきたから私の産まれた時は余裕だっただろうけど、間も無く戦争が始まって食べるものが不足して大変だったと思う。

戦争中の母は痩せこけていた。

もちろん子供達も。

 

おしゃれな人だったから、娘(5人もいた)たちの衣服には目を配っていた。

どこかで服地を調達して近所の洋装店で作ってもらっていたし、セーターは何度も解いて洗って、編み物やさんに持って行って編んでもらった。

当時は主婦の内職で編み物や和裁や洋裁をする人が多かった。

母は縫い物が得意だったけれど一人では手が回らないから人に頼んでいたのだろう。

 

何も無い中でも娘たちには可愛い服を着せたい気持ちが強かったように思う。

工夫をしておしゃれをする精神は母に養われた。

 

几帳面で決して優しいだけの母ではなかったから、今でも「こんなだらしないことをしてたらお母ちゃんに怒られる・・・」と思う時がある。

 

母からの遺伝因子は沢山受け継いでいて、緑内障とか低血圧なのは典型的。

晩年はしんどい・・・と横になる姿も多かったけれど、86歳まで生きたのだから私ももう少し生きられるかな?と安易に考えている。

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紫陽花の蕾が大きくなってきた。

青紫の花びらになるのももうすぐ。

 

今日の礼拝メッセージの聖書

 彼女は力と気品を身につけ、

 微笑みながら後の日を待つ。箴言31:25

箴言31章はしっかりした女性、母としての生活術を記している箇所である。

彼女は神を信じることを知った人であり、将来を憂えることなく微笑みを持って過ごす。