南天の花
多忙な日々が続いたので、くたびれて伸びている午後も多くて・・・。
聖書の勉強がおろそかになってしまった。
遅れを取り戻す( ^ ^ )/□
ヨブ記続きから。
ヨブ記は読むのがしんどい箇所である。
聖書の女性(27)ーヨブの妻②
ヨブ記は昔から多くの文学哲学に影響を与えてきた書物である。
信仰の世界では苦難の問題は非常に大きい。
今回はヨブの妻の学びを超えて、ヨブ記の主題「なぜ義人が苦しみを経験するのか」について考える。
旧約聖書学者の浅野順一は『ヨブ記』(岩波新書)を記し、その中に下のように語っている。
「人生を一つの円にとすれば、人はその円に『破れ』を生じる。
その破れから冷たい隙間風が、時には強風が吹き込む。
そのため人はその破れを埋め冷たい風が入らないようにする。
そこに多くの宗教の存在理由がある。
無病息災、家内安全・・・は破れを埋める作業に終始する宗教である。
それを否定しないが、同時にその破れから何が見えるかということが最も重要なことではないだろうか。
破れが無かった時には見えなかったものがその破れを通して見える。
健康な時には見えなかったことが病によって知り得る。
私たちは破れを埋めることに心を奪われ破れがなければ見えないものを、破れを通してみるという心構えをおろそかにしてしまうのだ。
これで良いのだろうか」
以下「野の花」に。