冷たい風が吹く日曜日の朝。
裏にキルトのついたジャケットを着て教会に行く。
今日の礼拝メッセージ
ルカ6:20より
「幸福な人」
イエスは目をあげて弟子たちを見つめながら、話しだされた。
貧しい者は幸いです。
神の国はあなたがたのものだから。
イエスキリストの山上の垂訓の始まりの箇所である。
このみ言葉はキリスト教の根幹とも言える。
マタイ5:3では
心の貧しい者は幸いです。
天の御国はその人たちのものだから。
心が貧しいと幸い とはどうゆうことか?
幸いとは
・能力を生かして成功した。
・地位を得た。
・物質的に豊かである。
・自分自身を生ききれている。
・ルックスが良い。
などなど、この世の幸せにはいろいろある。
しかしこれは長続きするとは限らない。
例えばルックスは年を老いたら当然衰えるもの。
また、他人が不幸になれば自分は幸せ、他人が幸せになれば自分は不幸になる。
イエスの言われる幸せとは何か。
一番わかりやすい解釈は、
自分が心貧しいことを知っている人は幸いだという。
少しのことで天狗になる私たち。
人に傷つけられたら悲しいけれど、知らずに人を傷つけているかも知れない。
人間関係だけでなく神の前で、自分は心貧しい罪人ではないと言えるだろうか。
例えば、届いた封筒に貼られた切手。
郵便局の消印がずれて、切手に押されてなかったとしよう。
あなたはハサミでちょきちょき切ってはがして再使用していないか。
三浦綾子の夫光世さんは、切手を使おうとした綾子さんを強くたしなめられたという。
また人の悪口を言ったり、傷つけたことを覚えているか。
知らず知らず罪を犯している。
それが分かる人は幸いなのである。